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2015年8月4日火曜日

フォレスト・ガンプ/一期一会……恋愛も虐待も戦争も全部チョコの中

1994年/アメリカ
ロバート・ゼメキス監督


あらすじ:
ちょっとだけシンプルにできた人間のちょっとだけ複雑な人生を追ってみます。


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少々体調を崩しておりました。
夏場の暑さにはどうも弱く、毎年毎年体調を崩している気がします。皆さんもご自愛ください。
体調を崩すとなんだか優しい映画が観たくなります。そんなわけでこんなド王道の映画をチョイスしたわけですが、何を今更、感ありますね。ありますけど、逆にもう、観てない人もいるかなと思いまして。なんせ20年前の映画だもの。ねえこれガンプの子供役にハーレイ・ジョエル・オスメントが出てんだけどさ、20年前の映画に出てたって言うのが衝撃受けるよね。えっだってシックスセンスでも子供だったじゃん、何言ってんのとか思うんだけど、シックスセンスも90年代の映画だって言うね。ワーオ!昭和は遠くになりにけり!平成の映画だけど!
今現在のハーレイ坊や知ってる?夏場の暑さとは関係なく再び体調崩せるレベルで面影がないというか、面影はばっちりあるのにそのまま小汚いおっさんになったというか、とにかくもう、切なさだけが夏の終わり級なので、心臓の強い方は是非検索してみてください。

先ほど「優しい映画を観たい」といいましたが、この映画の中で起きていることは実はちっとも優しくない。幼馴染の少女の身に降りかかる虐待だとか、普通学級にガンプをねじ込むために担任教師と寝る母親だとか、戦争で死ぬ盟友だとか。だけどこの映画が人の心を優しくするのは、ひとえにフォレスト・ガンプが残酷だからです。
残酷とは何を言いだすのか、彼は心優しい人間だ……という意見はごもっとも。彼は非常に優しい人間です。虐待される幼馴染の少女の身を案じることができるし、母親を愛しているし、盟友のために絨毯爆撃を受けるジャングルの中を迷わず走り出すことが出来ます。
でも彼は本質的に何が起きているのかを知りません。母親が自分のために何をしたのか、少女はどんな仕打ちを受けたのか、戦争とは何か。ちょっとだけIQが平均値を下回っているせいで、いや、おかげで、彼はどんな深刻な局面も「人生はチョコレートの箱のようなもの」とばかりに軽やかに切り抜けていきます。辛い状況に立たされても笑っていられる事、平常心でいられる事。これが出来る人間は強い人間であり、そこにユーモアを生み出すことが出来ます。
だけど、じゃあそれは、戦争で死んでいく兵士の視点から見て彼は「優しい人間」でしょうか?母親が犠牲になったことを知らずにいる彼は優しいでしょうか?虐待を受けた彼女の本当の痛みのかけらも知ることもない彼は?
彼の立ち振る舞いは非常にユーモラスで、時に人を優しい気持ちにします。しかしそのユーモアは残酷と共にある。彼の目線から外れたところで人は死に、泣いている。フォレスト・ガンプはそう言った悲哀が割と容赦なく描かれていると思います。

一方で、じゃあ、彼の鈍感さ、残酷さに救われた人はいなかったか?といえば、そんなことは決してないのです。
ダン中尉は戦争で身体に過酷なハンデを背負う羽目になり、そんな自分を救ったガンプを殺す勢いで憎みますが、最終的には穏やかな人生を得ることができます。ダン中尉かっこいい。好き。
かつての幼馴染も、ガンプの元で幸せになる。彼の残酷さは、やはり優しさでもある訳です。
優しい事、残酷である事、それら両方によってユーモアが生まれる事。不思議な事ですがユーモアというのは一見両極端に見えるようなものから生まれ、その実同じ源流だって事があるってことなんですね。この映画って、だから、すごい不謹慎になりかねない。だけど絶妙なバランスで残酷さをユーモアに変えているんです。ガンプが、ばかだからと言ってしまえばそうかもしれないけれど。
人間ってもっと適当に生きていいってことだよね、と思います。どう生きても誰かにとって残酷になるし、誰かにとっての救いになる。だからもう、好きなように生きろ。思い通りにできる感情は自分のものしかないから、せめて自分は幸せに、なろう。そういう話だなあと。
それはそうとダン中尉かっこいい。何度でもいう。かっこいい。
ゲイリー・シニーズ好きなんです……。もう御年60歳ですって。はあー。いい。許す。好き。

最終的に癒されるかと言うと、まあ、どうでしょう?今回の紹介通り、実はベトナム戦争前後のヘヴィな時代背景だから、重たく見ようと思えば見れちゃうわけです。でもさすがだよね、さすがバック・トゥ・ザ・フューチャーの監督だよね。やっぱりすごくライトに見れるんだよね。そして優しい気持ちにもさせられる。ゼメキス・マジック。
良い事も悪い事も、色んな事がごたごたと、チョコレートの箱の中みたいにバラエティに富んでいるけど、やっぱり最終的には甘いんだね。生きていればいいことあるよ。そういうメッセージなんだね、と思います。なんだかんだ言ったけど、それでいいんだよ。そうやって幸せになれば。
言わずもがなですが、とても良い映画だと思います。
そしてもう一回言っておこう。ダン中尉超かっこいい。最後に捕まえる嫁さん不細工なのがまた良い。(辛辣


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2015年7月27日月曜日

フォーン・ブース……これは良い困り眉映画

2002年/アメリカ
ジョエル・シュマッカー監督


あらすじ:
コリン・ファレルが己の眉毛を最大限に活かして困ってます。


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ワンシチュエーションものです。私ワンシチュエーションものって好きなんですよね。なんででしょうね?なんか、「ワンシチュエーションものは場面転換が無いためダレがちだがこの映画は面白い」とか言う紹介文をよく見かけると思うんですけど、その「ダレがちのワンシチュエーション映画」というものを私あんまり観た覚えがないんですよね。あるのか?そんなの。
ワンシチュエーションものは「場面転換がないからダレがち」っていうのが制作側が作る前からわかってる事なので、普通の映画よりも工夫するよう、すごく神経質に作ってると思うんですよね。大金はたいて作られた下手な長編大作よりも観て失敗したって思うことが少ない気がする……けども。どうなんでしょう。まだまだ映画界は広いから、一概には言えませんけどもね。私の好きなシチュエーション映画は、たくさんありますけども、邦画なら「キサラギ」で洋画なら「キューブ」ですかね。

パッケージで見てるとなんかコリン・ファレルって伊藤英明にちょっと似てるな。
実際のところはすごいいい困り眉俳優だと思うんです。私の中に「困り眉俳優」というジャンルがありまして、作品や演技を越えてなぜかいつも気になってしまう俳優がいるんですよね。コリン・ファレルはそんな私が決めた「三大困り眉俳優」の中の一人です。ちなみにもう二人はラッセル・クロウとシャイア・ラブーフな。
左の画像もなかなかいい困り眉してるよね。なんか卑怯なくらい困ってる顔してるよね。なんだかそれだけでちょっとおかしいっていうのが引っかかってしまうんだろうなあ。困ってない時でも困った顔してるのが面白いし、困った状況で困った顔してんのもなおさら面白いし、出落ちにちょっと近いです。ずるいよ。
このコリン・ファレルは本当に困ってるんだけど、いっつも困った顔してるから「またまたー演技なんでしょ?」とか言いたくなる。ずるいよ。
良い演技してるのに困り眉が純粋な映画鑑賞の邪魔をしてるとも言える。

フォレスト・ウィテカーも良い俳優ですよね。気づくとよく「善良な黒人」の役で出ている気がする。この人は裏表のない善い人間という役をよくやるなーって印象です。なんででしょうね。
サミュエル・L・ジャクソンとかローレンス・フィッシュバーンとかは悪い黒人役すごく合う気がするけど、この人はあんまり想像できない。

映画作品自体は、オチが先にありきだったんだろうなあと言う感じであまりにも「動機とかはまあどうでも良いじゃない!意外だったでしょ?」感があふれていて「あまり客をなめるなよ…」という気もしないでもないんですが、確かに意外ではあります。ありますが、パッケージのキャスト一覧でもう犯人分かるって言うかね。私が「おっ、あの人でてる」って注目してしまったっていうのもあると思うんですけど。監督もキャスティングの意外性を狙ったらしいんですけど。それならそれなりに理由づけしてよ。ワンシチュエーション映画の「キューブ」とかはさ、なんでそんな部屋を用意したのかなんてことは問題ではないんだなっていう作り方をしてるわけですが、「犯人の動機は問題ではないんだな」と思わせたいならそういう作り方をするべきだなーと思います。これではただ作りこみが甘いだけではないかと。思ってしまいました。ちょっと辛口になってしまった。

それ以外の人の動きや心理戦などは面白かったです。それだけにね、ラスト丁寧に作ってほしかったなあって、残念に思うんですよね。コリン・ファレルは思う存分困ってるのでそれだけでも見る価値ありだと思いますので、私のような困り眉マニアにはイチオシです。
いるのかなあそんな人。でも本当だよ。


※今までタイトルでラベル作成していたんですが、これキリないな…と思ったんで私の独断でジャンル分けにちょいちょい変更していこうと思います。
今までのもちょっとずつラベル変更していく予定です。


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2015年7月8日水曜日

フィリップ、きみを愛してる!……愛しすぎて167年刑務所にぶちこまれる!

2009年/フランス・アメリカ
グレン・フィカーラ、ジョン・レクア監督


あらすじ:
彼の事が好きすぎて何度も脱獄してたら刑期が167年になりました。


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ゲイムービーなので、苦手な人は苦手かもしれません。私個人としては、そこまで生々しいとは思いませんでしたがキスシーンもセックス描写も出てきます。
ジム・キャリーは何でもやりそうだからまあいいとして、ユアン・マクレガーがゲイの役ってちょっとすごい、と思って劇場に足を運びました。なんたってミスター・スター・ウォーズだよ。若い頃こそハッパキメてラリッて水洗便所に流されて天井から赤子が落ちてくる幻覚におびえ苦しんだりする映画も出ておりましたけど。もう堅実なキャリアを積んだユアンが破天荒な役をやるとは思っていなかったのでびっくりです。




実際のところユアンはもんのすごく良かった。こんなにも「恋する乙女の顔」を表現できるもんかな?ジム・キャリーにロマンティックなことをされて、「もうとろけちゃう」って顔をするんだけど、本当に、本当に見ているこっちがドキドキするほどとけてるんですね。ユアンの演技力、あれだけでこの作品は良作と断言できます。彼は本当に、なんにでもなれるんだね。こんなに女子力高くて儚げなユアンは初めて見たし、何度見たっていいものです。女子力って料理が上手に出来るとかネイルが綺麗に塗れてるとかきっとそういうことじゃないんだよ。それをユアンに教えられたのが衝撃だよ。

多分ユアンは、プライベートで恋人のとろけるような顔を見るような機会が散々あったんだろうな、と思いました。という訳で私の中でユアンは勝手にロマンティストに位置づけられております。あんなに、誰かを全力で恋する乙女の顔をさせてきた男だとしたら相当ですよ。愛妻家で有名だし、奥さんはきっと幸せ者だな。

セックスシーンがあるよ、と前述しましたけど、なんかもう笑っちゃうのね。いつものキレたジム・キャリーだと思ってくれれば大体合っていると思います。全然エロくないけど、えげつなくはあるので、穏やかな気持ちでいたい日に観るものではないと思います。

このお話は実在の人物がモデルになっておりますが、それにしたって壮絶。人殺したりとかしてないんだよ。してないのに167年。詐欺罪と、恋人に会いたいから脱獄したっていうので167年。まあその詐欺でえげつないほどの財力を手に入れているし、脱獄も4回やってるからこれ以上のフォローは無理ですが……。でもこれ全部、恋人のフィリップ・モリスのためにやってるのね。彼と自由な暮らしがしたくて。彼を笑顔にさせたくて。彼に愛してると伝えたくて。
脱獄しても行き先が必ずフィリップ・モリスのところだって分かってるからすぐ捕まるってあたりも微笑ましいじゃないの。脱獄する日は必ずフィリップ・モリスの誕生日の「13日の金曜日」ってあたりもいじらしいじゃないの。フィリップ・モリスご本人だってこの映画に出てきちゃうノリノリぶり(ジム・キャリーの隣に座る方が本人)だし、許しちゃいなよ、とは言わないけど、もう少し情状酌量の余地があっても、いいんじゃないですかねえ。167年て。手加減一切ないな。
ロマンティストは罪なんだなあ……。詐欺で大金せしめてりゃそりゃ罪ですけども。

ユアンの演技は「恋すると人って凄くいい顔になるなあ」「ああ恋してる人って愛しいなあ」っていう風に、すごく優しい気持ちさせてくれます。愛に満ちた人って人を幸せにしますね。ユアン超可愛い。友達になりたい。友達になって彼氏の悩みとか聞きたい。絶対可愛い。でもきっと可愛いのはユアンじゃなくてフィリップ・モリスさんなんだろうなあ。
ジム・キャリーは通常運行だよ。通常運行でキレッキレでとても面白いのでそれはそれで観る価値ありです。

ところでフィリップ・モリスって本名なんだろうか。ありふれた名前なのかもしれないけど、どうしても気になる。名前を聞くたびタバコブランドのエンブレムが頭に浮かんで雑念を払うのが大変でした。


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2015年6月26日金曜日

ファイト・クラブ……きっと何者にもなれないおまえたちに告ぐ

1999年/アメリカ
デヴィッド・フィンチャー監督

あらすじ:
ストレス解消に殴り合うスポーツジムを始めたら、なんかテロリスト集団になってました。


※ネタバレあり。注意。


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ブラッド・ピットが好きです。好きでした。一時期ほどの熱が残っている訳ではないですが、今でも好きです。でもなんというか、ブラッド・ピットってあんまり良作に恵まれないような勝手なイメージ……。
ブラピが出ていると聞いて公開初日に映画館に走っては、いつも「ブラピが美しい映画だった」という感想だけを持ち帰る日々を繰り返していたことがあります。かっこいいんだけどね。それだけになんか、もったいない。ブラピ自身美しいと言われることに嫌気がさして、変に小汚い方向を目指した時期がありましたが、ひげ生やしたくらいでお前の美しさが損なわれると思ってるのか。ふざけないでください!という付け焼刃具合。もっとね!がんばってほしいの!できる子だと思うの!

今作はそんなブラピに辛口な私がマイ・ベスト・ブラッド・ピットと呼ぶ作品です。……でもねこれブラピが良かったというか、エドワード・ノートンが良かったんだよね。ブラピも良かったんだけど、それ以上にノートンが良かった。不遇。不遇なブラピ。

ノートン演じる主人公には名前がありません。便宜上ナレーターと呼ばれています。あるいは、「僕(I)」。
これは己の個性のなさを痛烈に嫌う彼の物語ゆえだと思います。
平凡なサラリーマンで、趣味や好みもなく、死んだように生きている自分の事を自分では嫌いだと言いきることもできない大変弱い人間です。本当は高級マンションに住んでいるし、そこそこのブランド物で身を固め、家具をそろえられるほどの財力があるのだから、そこに何かを見出してもいいはずなのに、彼はそれが出来なかった。
むしろ、そういうある程度のステータスを持っている事に優越感もないわけではない。そんなみみっちさにもまた嫌気がさす…という悪循環。
だから誰かのせいにして家ごと吹っ飛ばしちゃったのかな、と思いました。
自分の事が嫌いなのに、自分が嫌いだと認めることができない。好きになりたいのに、好きになれる手立てがない。タイラー・ダーデンは、ナレーターがつまらない人間であることを突き付けてくれた人でした。そしてそんな自分を好きになる方法も。それはものすごく振り切れた自己啓発法でしたが、ナレーターの心の隙間を確かに埋めてくれるものでした。ほんの一時ではありましたが。

何者にも成れないと思っている人間が、何者かに成れるかもしれないという希望にすがって、やはり何物にも成れないのではないかという絶望。タイラーの隣にいれば、自分も凄くなれる気がしたのに、当然ながらそうはならなかった。
タイラーの意思は彼の意志でもあるはずで、だから、テロに走った行為もまた、ナレーターの意思であったはずです。でも彼はそれを拒んだ。やっと、自分の好きと嫌いが分かってきたんですね。ここまできてやっと分かった。

目まぐるしい展開の割に、結局特に何が好転するわけでもなく話はラストに辿り着きます。でもナレーターはおそらくもう、不眠症に悩まされることはないでしょう。そもそも今後まともに生活できるのかも分かりませんが。

彼が欲していたものは「個性」というシンプルなものでした。
何でもできた、確かに何者かになっていたタイラーが彼の中にあったという事実は、変な話ですが彼の自信になったのではないかな、と思います。大騒ぎして、犯罪まで起こして、得たかったものがそれ?という話になるかもしれないけれど、何も持たない、何者にも成れないという恐怖心は、充分人を狂わせるものだと思うのです。


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