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2015年8月8日土曜日

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)……声に出して言いたい監督名


2014年/アメリカ
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督


あらすじ:
落ち目のハリウッドスターが再起をかけてブロードウェイに進出します。


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私の愛してやまない作家のひとりに、伊藤計劃と言う方がいるのですが。
この方はノベライズや共作以外のオリジナル作品としてはたった2作を残して夭折した、素晴らしい才能を持ったSF作家だったのですが、大の映画好きでもありまして、作家になる前から独特な目線で映画の感想をブログにしたためておられました。
その中に、こういった一節があります。


まず、映画は「テーマを観に行くものではない」ということです。

宣伝文句で言われていることは、大体の場合映画の作り手の意思とは何の関係もありません。「ミュンヘン」を観て「テーマがよくわからなかった」などという人は、映画を観に映画館に行っているわけではないのです。代理店のコピーライターが考えた数行のキャッチコピーを、わざわざ1800円払って映画館に確認しにいっているだけなのです。

映画とは、そこにただある映像に過ぎません。



この映画のレビューを眺めていると、「テーマ/伝えたいことがよく分からなかった」という一節を時々見かけました。
大変残念な映画の見方だと思います。キャッチコピーでは分からない、言葉にできない何かを得ようと意識を持って映画を観たいものだな、と思います。
とはいえ、私もうまく何かをキャッチできているのか、与えられた分だけでも得られているのか、非常に不安なところではありますが。お金を払い数時間かけて映画を観るからには、テーマ以外の何かを一つでも多く拾っていきたいよね。この日記を読んで以降、自分の肝に銘じ、強く意識していることでもあります。

というわけでバードマン。
冒頭からびっくりするんだけど、主人公であるところのマイケル・キートンは超能力を使えるんですよね。予告編観てるとそういうファンタジー要素あるのかな?とは思ってたけど、まさかそんなあからさまに浮遊してるとは思わなくてびっくりしました。
といっても、あからさまに超能力らしき何かを使っているシーンって彼が1人きりの時に限られている。本当に超能力の使い手なのか、妄想なのかが分からないんですね。
はっきり言ってしまえば、彼が本当に超能力を使えるかどうかはどうでもいいわけです。彼は超能力を使えると思っていて、不可解な事象を自分の力のせいと捉え、それに振り回されているという事実だけが大事なのです。
そのあたり大変絶妙で良い。いい年こいたおっさんが60年代のコメディドラマみたいに指先ひとつでいろんなものを浮かしてみたりするような、ステレオタイプな超能力の使い方しちゃうのが何とも言えず滑稽です。超能力のタイプが古いんよね。「奥様は魔女」みたいなさ。若くて美人な奥様が使うからチャーミングに見えたしぐさも、くたびれたおっさんが人差し指でビシッと指さして家具とか動かそうとするのって、「お前大丈夫か」って心配したくなっちゃうよね。

娘役のエマ・ストーンは今作で存在を知ったのですが、すごく、すごくいい女優ですね!チャーミングだし、若者らしく自分を見失って無軌道にさまよっている。怠惰で、傲慢で、尊大で、脆い。若者って凄く複雑で面倒ですけど、それだけ魅力的で、そういった若者のすべてをうまく表現できる稀有な方だなあと思いました。
私は半分以上エドワード・ノートン目当てで観に行ったんですけど、やっぱ彼も上手だねえ。
彼の演じるマイクは、何にも考えてないんだろうな、きっと。俳優業も、天才的な勘で上手に演じることができるんだけど、若かったころに持っていたような情熱みたいなものはとっくに失われていて、演劇にリアルを求めているなんていうのは後付の言い訳で、実際は舞台の上で酒を飲みたくなったから飲むし、セックスしたくなったからしようとしたんだろうな。演劇が好きならたとえリアルを追及したとしてもそんな事しないでしょ。その場は臨場感が出たとしても、次のシークエンスはどうするんだよって話じゃん。
彼だけはあんまり、救われた気がしませんでした。最後まで自暴自棄な振る舞いをして、流されていただけに見えました。まあ最終的に流された先の選択は、悪いものではなかったとは思うけれど。
そういう風に、実は割と複雑な人間であるマイクを演じきってて、ノートン凄いなーって。グランド・ブダペスト・ホテルで生真面目な軍警察の大尉を演じているのを見たばかりだったのでなおさら思いました。
けどまあもうちょっと際立ってくれてもよかったかなあって。作中のマイケル・キートンとの演技合戦ではやっぱりマイケル・キートンが圧倒していたなって思いました。まあそういう話なんだからしょうがないんだけどさ。マイケル・キートンが身の上話をして泣き出すシーンは息を飲みます。
余談ですが私のマイベスト・エドワード・ノートンは「アメリカン・ヒストリーX」です。いつか記事にしたい。

本作はドラムがね、BGMのドラムが非常に良いです。むちゃくちゃかっこいいし、ストーリーに寄り添っていて心地よい。あ、予告で流れていた曲は本編では一切流れません。そこすんごいビックリしたけど、まあ、本編とは関係ない所だし、ドラムはかっこよかったので、良い。


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2015年8月4日火曜日

フォレスト・ガンプ/一期一会……恋愛も虐待も戦争も全部チョコの中

1994年/アメリカ
ロバート・ゼメキス監督


あらすじ:
ちょっとだけシンプルにできた人間のちょっとだけ複雑な人生を追ってみます。


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少々体調を崩しておりました。
夏場の暑さにはどうも弱く、毎年毎年体調を崩している気がします。皆さんもご自愛ください。
体調を崩すとなんだか優しい映画が観たくなります。そんなわけでこんなド王道の映画をチョイスしたわけですが、何を今更、感ありますね。ありますけど、逆にもう、観てない人もいるかなと思いまして。なんせ20年前の映画だもの。ねえこれガンプの子供役にハーレイ・ジョエル・オスメントが出てんだけどさ、20年前の映画に出てたって言うのが衝撃受けるよね。えっだってシックスセンスでも子供だったじゃん、何言ってんのとか思うんだけど、シックスセンスも90年代の映画だって言うね。ワーオ!昭和は遠くになりにけり!平成の映画だけど!
今現在のハーレイ坊や知ってる?夏場の暑さとは関係なく再び体調崩せるレベルで面影がないというか、面影はばっちりあるのにそのまま小汚いおっさんになったというか、とにかくもう、切なさだけが夏の終わり級なので、心臓の強い方は是非検索してみてください。

先ほど「優しい映画を観たい」といいましたが、この映画の中で起きていることは実はちっとも優しくない。幼馴染の少女の身に降りかかる虐待だとか、普通学級にガンプをねじ込むために担任教師と寝る母親だとか、戦争で死ぬ盟友だとか。だけどこの映画が人の心を優しくするのは、ひとえにフォレスト・ガンプが残酷だからです。
残酷とは何を言いだすのか、彼は心優しい人間だ……という意見はごもっとも。彼は非常に優しい人間です。虐待される幼馴染の少女の身を案じることができるし、母親を愛しているし、盟友のために絨毯爆撃を受けるジャングルの中を迷わず走り出すことが出来ます。
でも彼は本質的に何が起きているのかを知りません。母親が自分のために何をしたのか、少女はどんな仕打ちを受けたのか、戦争とは何か。ちょっとだけIQが平均値を下回っているせいで、いや、おかげで、彼はどんな深刻な局面も「人生はチョコレートの箱のようなもの」とばかりに軽やかに切り抜けていきます。辛い状況に立たされても笑っていられる事、平常心でいられる事。これが出来る人間は強い人間であり、そこにユーモアを生み出すことが出来ます。
だけど、じゃあそれは、戦争で死んでいく兵士の視点から見て彼は「優しい人間」でしょうか?母親が犠牲になったことを知らずにいる彼は優しいでしょうか?虐待を受けた彼女の本当の痛みのかけらも知ることもない彼は?
彼の立ち振る舞いは非常にユーモラスで、時に人を優しい気持ちにします。しかしそのユーモアは残酷と共にある。彼の目線から外れたところで人は死に、泣いている。フォレスト・ガンプはそう言った悲哀が割と容赦なく描かれていると思います。

一方で、じゃあ、彼の鈍感さ、残酷さに救われた人はいなかったか?といえば、そんなことは決してないのです。
ダン中尉は戦争で身体に過酷なハンデを背負う羽目になり、そんな自分を救ったガンプを殺す勢いで憎みますが、最終的には穏やかな人生を得ることができます。ダン中尉かっこいい。好き。
かつての幼馴染も、ガンプの元で幸せになる。彼の残酷さは、やはり優しさでもある訳です。
優しい事、残酷である事、それら両方によってユーモアが生まれる事。不思議な事ですがユーモアというのは一見両極端に見えるようなものから生まれ、その実同じ源流だって事があるってことなんですね。この映画って、だから、すごい不謹慎になりかねない。だけど絶妙なバランスで残酷さをユーモアに変えているんです。ガンプが、ばかだからと言ってしまえばそうかもしれないけれど。
人間ってもっと適当に生きていいってことだよね、と思います。どう生きても誰かにとって残酷になるし、誰かにとっての救いになる。だからもう、好きなように生きろ。思い通りにできる感情は自分のものしかないから、せめて自分は幸せに、なろう。そういう話だなあと。
それはそうとダン中尉かっこいい。何度でもいう。かっこいい。
ゲイリー・シニーズ好きなんです……。もう御年60歳ですって。はあー。いい。許す。好き。

最終的に癒されるかと言うと、まあ、どうでしょう?今回の紹介通り、実はベトナム戦争前後のヘヴィな時代背景だから、重たく見ようと思えば見れちゃうわけです。でもさすがだよね、さすがバック・トゥ・ザ・フューチャーの監督だよね。やっぱりすごくライトに見れるんだよね。そして優しい気持ちにもさせられる。ゼメキス・マジック。
良い事も悪い事も、色んな事がごたごたと、チョコレートの箱の中みたいにバラエティに富んでいるけど、やっぱり最終的には甘いんだね。生きていればいいことあるよ。そういうメッセージなんだね、と思います。なんだかんだ言ったけど、それでいいんだよ。そうやって幸せになれば。
言わずもがなですが、とても良い映画だと思います。
そしてもう一回言っておこう。ダン中尉超かっこいい。最後に捕まえる嫁さん不細工なのがまた良い。(辛辣


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2015年7月25日土曜日

ゆれる……できる兄、できない弟/できない兄、できる弟

2006年/日本
西川美和監督


あらすじ:
兄が居合せた吊り橋転落事故が、単なる事故ではないかもしれません。


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オダギリジョーは良い俳優ですね。日本の俳優には何故だか「さん」とつけたくなるんだけども、今までの記事では大体の俳優を呼び捨てにしていたはずなのでこれもそれに倣って……。

邦画はあまり観ない方なのですが、この映画は邦画の良い所が凄く出ている素晴らしい映画だと思います。「私は今こう思っている」と口に出すことによって消えていく、それだけではない思いを表現するのって、ハリウッド映画ではなかなかお目にかからないと思うんですよね。
弟の抱える気持ちはもちろん、「兄を助けたい」だけれども、決してそれだけではない。被害者への決して優しくない思い、打算、薄汚い気持ち。「兄を助けたい」事は真実なんだけど、それによって覆い隠した何かがこちらをじっと見ているようで、居心地の悪い思いをするオダギリジョーに、他人事ではない後ろめたさを感じます。
誰しも大なり小なり、大義名分を掲げたその陰に、打算を抱えているのではないかと自問自答したこと、あると思うんです。
自分が兄を助けたいのは、犯罪者の家族を持ちたくないからか。
兄を告発する事は、被害者と通じていたことを知られたくないからか。
助けたい。身内から犯罪者を出したくない。
どちらも矛盾しない考えだと思うんです。同時にあってもいいと思うんですね。
だけど実際その状況に陥った時、どちらかの選択をする事に後ろめたさを感じない訳にはいかない。
人は多面的な生き物であり、簡単に善と悪に分かれたりはしていない。
邦画はこういう、グレーの部分、マーブルの部分を描ききる事が非常に上手な監督が多いという印象があります。

基本的にこのお話は弟ことオダギリジョーに焦点が合っているので、観客は彼の後ろめたさに共感し、その感情に引きずられると思うのですが、一方兄こと香川照之の事は、弟の目を通して見ているので何を考えているのかいまいち分からないことが多いんですね。
でもこれは弟の目を通しているからこそ、なんだろうと思うんです。
弟にとって兄は実直で、真面目で、いい加減に生きている自分とは正反対の兄を尊敬しながら、コンプレックスを感じてもいたのだと思います。いたずらに兄の好きな人を奪ってみたり、かと思えば兄の知らない、仄暗い面を見て動揺したり。
要するに、彼は彼のフィルターを通すことで、兄を冷静に見たことは一度もないのだと思います。
できる兄、できない弟とオダギリジョーは思っているけど、兄自身はできない兄、できる弟と思っている。このすれ違いにお互い気づけていない。

弟から見た兄、世間から見た兄を演じ続けた香川照之は、本当は怒ったり悲しんだり悔しんだりする、そんなみっともない部分もちゃんと持ち合わせた一人の人間であることを軽んじられてきたのかなあと思うんですね。彼にもいろんな感情があり、弟を妬ましく思っていたり、恥をかくのが嫌だったり、閉塞的な田舎の中で善い人間であろうと背伸びしたり……。
彼が不可解に笑みを浮かべるシーンが数か所あるのですが、そう考えてみると、変な話だけれどもその瞬間彼は、初めて彼を認めてもらった実感を得たのかもしれません。
その証言が彼を不利にするとしても、「人を恨む気持ちさえ当たり前に持ちあわせている人間です」と、面前で言ってもらえたことは彼の救いになったのかもしれません。弟にどんな思惑があったんだとしても。

その一方で、兄は本来の優しい兄でもあった。その事に矛盾はなかったんです。弟が、自分に火の粉が降りかかるのは面倒だと思ったのと同時に、兄を助けたかったという思いを持っていたことに矛盾はないように。
恥をかいて惨めな思いを抱え激情する人間であったと同時に、人に対して思いやりのある人間であることに矛盾はなかった。
言葉にならない何かを兄と弟はやりとりして、それぞれに何かを受け取って、最後に兄は笑みを浮かべる。
この繊細な人間の感情のゆらぎを、オダギリジョーと香川照之は完璧に演じきっていることに感動します。言葉にならないもの、顔に出ないもの。それを表現するって凄いよなあ。

この監督、制作協力ですが「そして父になる」にも関わっているそうで。未見なんですよね。あれもまた繊細な題材だったなあ。機会があったら見てみようと思います。
日本にはいい役者が沢山いるなあ!


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2015年7月18日土曜日

LEGO ムービー……ディストピアの中心で「すべては最高!」と叫ぶ

2014年/アメリカ
フィル・ロード、クリストファー・ミラー監督


あらすじ:
平凡な青年が類稀なる平凡力で世界を救おうとします。

※ちょっとネタバレしてるかもしれません。


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語り部が能天気だと、どんな景色も楽しく見えたりします。例えば「フォレスト・ガンプ」は、周囲で起きている事が割とシビアでヘヴィだったりしますが、主人公の頭がちょっとだけシンプルなばかりに「ちょっと大変だったけどまあ考え込むほどでもないよね」という気持ちであらゆる出来事を見ていられます。いや実際、結構ヘヴィなんだけどね。いじめられたり、戦争があったり。
シンプルに生きるという事は時に愚かに見えますが、時にとても賢かったりするものです。難しく考えていた事でも、考え抜いた先に得た答えは案外シンプルだったりするように。

LEGOの主人公もまたとてもシンプル。LEGOなだけあって造詣もシンプル。
「こんな平凡すぎる人が世界を救っていいの…?」ってちょっと不安になったりもするけど、それだけにすごく応援したくなるし、とっても可愛らしくてニコニコしてしまうんですよね。

ぱっと見のお話は「トイ・ストーリー」に似てるかもしれません。向こうも人形だし。でも私はそれよりも「マトリックス」に似てると思います。トイ・ストーリーは「自分たちは人間たちに遊ばれるためのおもちゃ」という自覚を持っていますが、LEGOの世界に住む人たちは「LEGOで遊ぶ人間」の事を知りません。どうやら次元が違うようです。自分たちの世界の外にまだ世界が広がっていることを知らないんですね。そして恐ろしく統制された世界で、統制されていると分からずに力の限り楽しんで生きています。テレビのチャンネルは一つしかないし、ヒット曲も一つしかない。すべてにマニュアルがあって、毎日同じことを繰り返して生きている。
傍から見ているとどっからどうみてもディストピアなんだけど、LEGOの住人はすんんんごく幸せそうです。今までのディストピア映画って、自由のない世界の絶望感をいかに表現するかに力を入れてると思うんだけど、この映画はなんかもう「ディストピアでーす!ヘーイ!Fooooo!!!」ぐらいのノリ。そんなこと知らないし、それがどうしたという底抜けの明るさで、どんな時でもただただ笑っちゃうんですね。ディストピアだと分かった後でも主人公は底抜けにハッピーな感じ。こういうディストピア映画もありなんだなと思いました。ちょっと、新しい。

この世界の良い所って、ディストピアとか割とハードな世界観していながら本当、平和ってところ。誰も死なないんですよね。最悪動けなくされちゃうだけで、バラバラにされちゃったりする訳じゃない。それはこの世界を作る「上にいるお方」の世界観がそうさせている訳で、神様が優しいと世界は優しいのだな、とほっこりしたり。ディストピアだけど。

オリジナルキャラに加えて、バットマンやスーパーマン、ダンブルドアにガンダルフなどなど、レゴならではのキャラクターも登場したり、声優がモーガン・フリーマンだったりリーアム・ニーソンだったりチャニング・テイタムだったりして何気に豪華。個人的には日本語吹き替え版の主人公の声が森川智之さんなあたり嬉しさに身悶えるんですが(映画版「シャーロック・ホームズ」、ドラマ版「SHERLOCK」でともにワトソン役をしています)、私と同じようなツボをお持ちの方にもぜひおすすめします。いいよ……森川さん、いいよ……!!

アクションシーンにはマトリックスのスタッフが関わっているそうで、もうほんとすごい。レゴってこんな動くんだ!?ってくらい動きます。ちゃんと既存のパーツを使っていて、しかも人形の動きも可動範囲内なのが憎いね。

このお話って親子のあり方、っていうのもテーマにあったりして、子供から大人まであそべるレゴを題材にしているからこその語り口なのがとてもいいです。自由な発想で遊ぶ子供から、ルールを踏まえて遊ぶ大人の、共通言語としてのLEGO。親と子が分かりあう、繋がりあうことの大事さのメッセージが、嫌みなく伝わってきて最後はほろりとしました。誰にでも安心しておすすめできる良い映画です。エメットのドヤ顔がたまらなく好きだ。


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2015年7月15日水曜日

運命じゃない人……11桁の数字とそれにがっついていく監督の主張


2005年/日本
内田けんじ監督


あらすじ:
「運命」に翻弄されて主人公以外が右往左往します。


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別に避けていたわけではないのですが、ここにきて初めての邦画紹介になりました。基本的に何でも分け隔てなく映画を観るというタイプではないので、ピンときた映画に邦画が少ないというのはあるかもしれません。まあ単純に考えて、世界中で新しい映画が生まれているのだから、その中の日本作品となると必然的に観る本数も減る、のかもしれない。その割にアメリカ映画がほとんどな気もするのでちょっと詭弁な気もしないでもない。

内田けんじ監督作品、好きです。
「運命じゃない人」「アフタースクール」「鍵泥棒のメソッド」観ましたけど、どれもいいですね。唯一「WEEKEND BLUES」だけ観てませんが、調べてみたらamazonで高騰してる……面白いんだろうか……。
主人公の方、時々脇役でお見かけする方ですね。この人を主人公に据えるとかなかなかちょっと、なんというか、うーん、勇気がいるというかアレ(濁した)だなと思うんですけど、この作品ではそれがよく合っています。抜けている感じとか、華がない感じとか、ちょっと棒読みだとか(ああ結局言ってしまった)。
彼のその周囲が何も見えていない、何も考えていない感じが凄くこの作品にマッチしていました。ちょっと華のある俳優を使ったらこの作品の説得力が半減してしまうだろうなと思います。褒めてるようで全然褒めてない。褒めたい。褒めてるつもりです。頑張ってます。

この映画で一番メッセージ性を感じるのは、何と言っても主人公の親友が、失恋したての主人公に向かって次へ踏み出すよう説得するシーンの一連のセリフですね。

「お前電話番号なめんなよ」

「あの11桁の数字を知っているか知らないかで、赤の他人かそうでないかを分けるんだから」

「タイミングなんてないよ、お前が作るんだよ、タイミングを。」

「30過ぎたら、もう運命の出会いとか、自然な出会いとか、友達から始まって徐々に惹かれ合ってラブラブとか、一切ないからな。もうクラス替えとか、文化祭とかないんだよ。自分でなんとかしないと、ずーっと一人ぼっちだぞ、絶対に、ずーっと」

……分かってるよ!!!

冒頭から、主人公を通り越して「恋愛はしたいけどがっついていくのはなんか違うし、タイミングもなかなかないからなあ」と日和っているような人間に説教してくるんですよね。
なんだかものすごくメッセージ性を感じる…すんごい感じる……!と思っていたら、案の定脚本も手がけている内田監督が当時普段から言っていたセリフだそうです。公式サイトのインタビューにそのくだりが載っております。10年前の映画なのにまだ公式サイト残ってるんだね。凄いな。
内田監督らしくすごくギミックの凝った作品で、物の見え方が二転三転しますが、この映画で何を伝えたいかって言ったらごくシンプルに「運命なんてないから自らで切り開いていきなさいよ」って事なんでしょう。
言いたいことは分かるけど余計なお世話だよ!

「運命」って、どう捉えるかで変わる、定義の難しいものだと思います。この話も元カノの事は別れた時点で「運命じゃない人」だったとも言えるし、「元カノに出会って引き込まれる一連の出来事は運命だった」ともいえる訳で、「運命の人=自分の一生を捧げる恋人」という考えにはちょっと違和感があるんですね。この映画のタイトル「運命じゃない人」は、運命なようで、運命じゃないようで、どっちで呼んでも良い物事をあえてそう呼んだ、というものを含んでいるように感じます。
観る人にとっては「運命の人」と捉えられるラストではありますが、「運命ではないよ。運命を切り開くのは自分だよ」という監督のメッセージがそのタイトルに感じられると私は思いました。

それにしても親友のこの人のゲイくささは一体何なんだろう。
顔や体つきやしぐさがどうこうっていうんじゃなくて、あまりに親友のために尽くしすぎていて、行き過ぎ感を感じます。作中でも「あんたあいつの何なのよ」「お前には分かんねえよ」みたいなセリフが出てくるんですが、え、なに、腐?腐展開なの?BLなの?って、腐ってない私ですら思える献身ぶりでございました。でもこれが男同士の友情ってもんなんだよ、っていうことなんだろう……ね……。それにしたって行きすぎだと思うよ。まあ友情としてはとてもアツいけど。

余談ですがポスターは漫画「ツルモク独身寮」の窪之内英策さんです。古すぎて伝わらないかもしれない……。久々にこの方のイラストを劇場で見かけて「うわああ!」ってテンション上がったものでした。最近はお元気にしてらっしゃるんでしょうかね……。


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2015年7月11日土曜日

ダラス・バイヤーズクラブ……シンプルに生きたいと願うことに差別なんかないから



2013年/アメリカ
ジャン=マルク・ヴァレ監督

あらすじ:
エイズを発症したので、エイズ患者相手に非認可の薬を売りつけるビジネスを始めます。


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もはや役作りのために体重を数十キロ変動させることなんて普通のことになってきましたね。
デ・ニーロ・アプローチの由来になっているロバート・デ・ニーロは体重変動はもちろんの事髪の毛抜いたりホームレス施設に入ってみたり精神病院に入院してみたり、無茶苦茶することで有名ですけども、マシュー・マコノヒーはそういったデ・ニーロ・アプローチに見られるような綿密な役作りに加え、非常に感性の人でもあると思います。演技に対して、憑依型とまではいわないけれども…瞬発力が良いイメージ。
デ・ニーロはもちろん素晴らしい俳優です(好きです悶絶するほど。わたくしおじさまフェチなのです。)が、今やそれをまねて体重を変動させるくらいでは話題にもならない時代で、そこから、何をするかが求められているのではないかなと思います。過酷な時代になったね……。
ともあれ、マシュー・マコノヒーは、その期待を裏切らないし、越えていく。とても素晴らしい俳優です。もちろん、好きです悶絶するほど。昔見かけたときはタレ目でチャラい色男って感じだったのになあ。いつの間にか骨太な俳優になっていましたね。

この作品観てて、「エイズはホモがかかるもの」というデマが昔存在していたという事実を今一度思い出しました。そんな時代確かにあったね。ゲイでなければ大丈夫というその根拠のない決めつけと「ノーマル」という選民意識みたいなものが、とても滑稽に映ります。とくにエイズにかかった主人公自体が物凄いゲイフォビアで、びんっびんに差別してくるんだけど、差別する人に対する怒りとか憤りよりもやはり、「アホだなこいつ、自分がその病気になってるって言うのに、滑稽だわ」というおかしみが先に来てしまいました。すんごい差別主義者なんだけど、今この時代だからこそ「アホだなこいつ」と思えるキャラになり、なんだか憎めないキャラとして最初から存在できているんだと思いました。怒る気にもならんよね。エイズ発症しちゃってるし。
彼は結局最後までゲイを差別していたと思います。だけどビジネスパートナーのレイヨンの事は好きだった。ちゃんと相棒だったと思うんです。彼には差別が自分の中から完全に払拭されるにはあまりにも時間が残されていなかったけど、差別しなくなるっていうのは、きっとこういう、ゲイだとかノーマルだとか関係なく、その人を人として好きになることから始まるんでしょうね。彼はそのスタートに立てていたと思うんです。彼の芯の部分にあるものはとても愛おしいから、彼の事を好きになれるんだと思いました。ひっどいクズなんだけどねえ。なんだかクズばっかり扱ってるなこの映画レビューブログは。

私ノーラン作品が狂おしいほど好きで、マシュー・マコノヒーは「ウルフ・オブ・ウォールストリート」から本格的に追い出したニワカなんですけども、特によく見ているマコノヒー作品は「インターステラー」なんですね。それを観てるとしみじみ「ダラス・バイヤーズクラブと全然違う…」って驚嘆するわけです。インターステラーの彼は非常に包容力があるマッチョイズムな父親なんですが、ダラス・バイヤーズクラブではそんなもん微塵も感じさせない。ヒョロヒョロしてるからってだけではないんですね、なんかもう、オーラから違う。ゲスのオーラが凄い。彼のように変幻自在な俳優って私大好物です。タイプキャスト的な俳優も嫌いじゃないんだけどね、ベネディクト・カンバーバッチなんて最近その典型に陥ってる気もしないでもないんですが、それはそれで好きなんですけどね。やっぱ色んな映画に出ていながら「えっこの人って本当にあの映画に出てた人と同じ人なの」って驚きがあるとすごく嬉しい。マシュー・マコノヒーは見る映画すべてでそういう新鮮な驚きを与えてくれます。
しかしデ・ニーロも映画によってどんどん役作り変えていく割に、見かけるたび「デ・ニーロだ…」って思ってしまうのはなぜなんだろうか。

映画の話からは外れてしまうんだけど今回やたらデ・ニーロ・アプローチに触れたので。
ちょっと調べてみたらどこかのニュースサイトの画像でこんなのを見つけたのですけど、いやー、人って変わるなー!ダラス・バイヤーズクラブのマコノヒーは言わずもがな、右の方です。
右の人いかにもゲイとか嫌いそうだけど、左の人ゲイどころかなんでもありっぽそうだもの!同じ人なんだぜ!信じられん!
未見だけど左の方はおそらくこれ「マジック・マイク」のストリッパーの役の時ですね。ちょっと観てみたいと思いながら手つかずなんだよな。観てみようかな。


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2015年7月8日水曜日

フィリップ、きみを愛してる!……愛しすぎて167年刑務所にぶちこまれる!

2009年/フランス・アメリカ
グレン・フィカーラ、ジョン・レクア監督


あらすじ:
彼の事が好きすぎて何度も脱獄してたら刑期が167年になりました。


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ゲイムービーなので、苦手な人は苦手かもしれません。私個人としては、そこまで生々しいとは思いませんでしたがキスシーンもセックス描写も出てきます。
ジム・キャリーは何でもやりそうだからまあいいとして、ユアン・マクレガーがゲイの役ってちょっとすごい、と思って劇場に足を運びました。なんたってミスター・スター・ウォーズだよ。若い頃こそハッパキメてラリッて水洗便所に流されて天井から赤子が落ちてくる幻覚におびえ苦しんだりする映画も出ておりましたけど。もう堅実なキャリアを積んだユアンが破天荒な役をやるとは思っていなかったのでびっくりです。




実際のところユアンはもんのすごく良かった。こんなにも「恋する乙女の顔」を表現できるもんかな?ジム・キャリーにロマンティックなことをされて、「もうとろけちゃう」って顔をするんだけど、本当に、本当に見ているこっちがドキドキするほどとけてるんですね。ユアンの演技力、あれだけでこの作品は良作と断言できます。彼は本当に、なんにでもなれるんだね。こんなに女子力高くて儚げなユアンは初めて見たし、何度見たっていいものです。女子力って料理が上手に出来るとかネイルが綺麗に塗れてるとかきっとそういうことじゃないんだよ。それをユアンに教えられたのが衝撃だよ。

多分ユアンは、プライベートで恋人のとろけるような顔を見るような機会が散々あったんだろうな、と思いました。という訳で私の中でユアンは勝手にロマンティストに位置づけられております。あんなに、誰かを全力で恋する乙女の顔をさせてきた男だとしたら相当ですよ。愛妻家で有名だし、奥さんはきっと幸せ者だな。

セックスシーンがあるよ、と前述しましたけど、なんかもう笑っちゃうのね。いつものキレたジム・キャリーだと思ってくれれば大体合っていると思います。全然エロくないけど、えげつなくはあるので、穏やかな気持ちでいたい日に観るものではないと思います。

このお話は実在の人物がモデルになっておりますが、それにしたって壮絶。人殺したりとかしてないんだよ。してないのに167年。詐欺罪と、恋人に会いたいから脱獄したっていうので167年。まあその詐欺でえげつないほどの財力を手に入れているし、脱獄も4回やってるからこれ以上のフォローは無理ですが……。でもこれ全部、恋人のフィリップ・モリスのためにやってるのね。彼と自由な暮らしがしたくて。彼を笑顔にさせたくて。彼に愛してると伝えたくて。
脱獄しても行き先が必ずフィリップ・モリスのところだって分かってるからすぐ捕まるってあたりも微笑ましいじゃないの。脱獄する日は必ずフィリップ・モリスの誕生日の「13日の金曜日」ってあたりもいじらしいじゃないの。フィリップ・モリスご本人だってこの映画に出てきちゃうノリノリぶり(ジム・キャリーの隣に座る方が本人)だし、許しちゃいなよ、とは言わないけど、もう少し情状酌量の余地があっても、いいんじゃないですかねえ。167年て。手加減一切ないな。
ロマンティストは罪なんだなあ……。詐欺で大金せしめてりゃそりゃ罪ですけども。

ユアンの演技は「恋すると人って凄くいい顔になるなあ」「ああ恋してる人って愛しいなあ」っていう風に、すごく優しい気持ちさせてくれます。愛に満ちた人って人を幸せにしますね。ユアン超可愛い。友達になりたい。友達になって彼氏の悩みとか聞きたい。絶対可愛い。でもきっと可愛いのはユアンじゃなくてフィリップ・モリスさんなんだろうなあ。
ジム・キャリーは通常運行だよ。通常運行でキレッキレでとても面白いのでそれはそれで観る価値ありです。

ところでフィリップ・モリスって本名なんだろうか。ありふれた名前なのかもしれないけど、どうしても気になる。名前を聞くたびタバコブランドのエンブレムが頭に浮かんで雑念を払うのが大変でした。


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2015年7月6日月曜日

チャーリーとチョコレート工場……ティム少年がティム青年になるとき

2005年/アメリカ
ティム・バートン監督

あらすじ:
ティム・バートンが一皮むけました。


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純粋な作品のあらすじとしては、かすってもいない紹介ですが、この作品についてはこの一言に尽きると思います私。
ティム・バートンとジョニー・デップと言えば私の大好物×2です。当時5回ほど劇場に足を運んでこの映画を観ました。とても良かった。ティム・バートンはこの後も素敵な作品を生み出していますが、この作品は私の中でしばらく好きな映画1位に君臨していた作品です。
ティム・バートンってすごく、フリークスを描くことが多いですよね。奇抜すぎて虐げられているもの、世の中からはみ出してしまっているもの。シザー・ハンズなんかはその最たるものだし、ティム版バットマンは、バットマンよりもジョーカーに視点があっていました。彼らがなぜフリークスになり、何を考えているのか、その悲哀を描き出すことに執着しているものが多かったように思います。それってティム・バートン自体が鬱屈とした少年時代を過ごしたあらわれなんではないでしょうかね。彼が少年時代変わり者で世間からはみ出て生きていたっていう話はどこかで見聞きしたことがある…はず。きちんと記憶していないのであいまいな情報ですが…。どこで見たんだっけなあ?

今回紹介するこれも、序盤は鬼才ウィリー・ウォンカがいかに奇人かと言うところから始まりますが、この作品が他と一線を画すのはメインのテーマに「親との和解」が隠されているところだと思うんですね。先ほどの2作品に親は存在しません。シザー・ハンズは冒頭で育ての親が亡くなるし、ジョーカーに至っては、親……?親から生まれたのかあれ……?
彼らがこじれてしまった理由は描かれても、そのルーツが親まで遡ることはありませんでしたが、今回は親まで遡っているんですね。これはティム少年の心が何によって浄化されるのか、その答えがこれだったのではないかな、と。彼はこの時期ヘレナ・ボナム・カーターとの間に子供をもうけて父親になっております。親になった時、本当に欲しかったものがみえて、子ども時代のわだかまりを引きずったまま大人になったウォンカが救われるお話を描いたのではないかなと思いました。この後に作られた映画「ビッグ・フィッシュ」はもっとダイレクトに親と和解する話ですしね。あれは大号泣した……けどそれはまた次の機会に。

クリストファー・リーはつい先日亡くなってしまいましたね。とても素晴らしい俳優でした。この作品でも、酷く不器用な親の役がとても輝いていました。抱きしめ方を知らない親、抱きしめられ方を知らない子供のぎこちなさ、ぎこちなさから伝わる切なさ。言葉がなくても、このシーンにはいろんな思いがあふれています。

この作品を見た後、旧作の「夢のチョコレート工場(1971)」と原作本を読んでみたのですが、ティム版は案外原作に忠実だったのですね。旧作版は工場内がメインになっているのでウォンカの父親などは出てきません。旧作版、すんごいカルト臭がするんだよね。なんていうか、フリークスが本当フリークスって感じで、見てはいけないものを見てしまったような。その点ティム・バートン版はすんごいカラッとしてるよね。みんな生き生きしてるし、どんな姿でも、どんな姿になっても、きっとこの世界はすべて受け入れるんだろうっていう安心感がある。だけど旧作版ってなんか、工場内の人は工場でしか生きられないんだろうな…って感じが凄い出てて、ふおお……てなりました。ウォンカもなんか怖いし。一部には人気高いらしいね。
それはそれとして、ウンパ・ルンパが凄いんだ。ティム版は一人の役者さんがウンパ・ルンパ全員を演じたけども、旧作は身長の低い人を集めてきて撮影したみたいです。みんな同じ顔だし、同じ身長だし、そのこだわりはすごい。
この作品ってウォンカとウンパ・ルンパたちが楽しく過ごしながらお菓子を作ってるっていうのすごく大事だと思うんです。世間一般では理解を得られない人間と、不思議な人種が、何に縛られることもなく、大好きなお菓子を作りながら、歌い踊って過ごしている、というのが、作中の子供たちと、私たちを魅了する要因の一つだと思うので、ティム版はそこがすごくいいですね。これ以上楽しそうなことってなさそうだもの。

ティム作品とジョニー・デップ作品については好きなものが沢山あります……追々、ちょい出ししていこうと思っておりますが、私の暑苦しい思いがあまりはみ出ないようにしなくては。

全然関係ない話ですが、先日「セッション」を観てて主人公のライバルになる人がどっかですごい見たことある…すごい誰かに似てる……って思ってたんだけど、分かった。チャリチョコのお父さん役の人だ……と思って並べてみたら面白いほど似てなかった。あっれーー!?
(左:チャリチョコのお父さんことノア・テイラー/右:セッションのライバルことネイト・ラング)
ノア・テイラーのほうが断然美男子だったわ…って、え!!調べてたらノアさん「オール・ユー・ニード・イズ・キル」出てたの!!気づいてなかったことにショックだわ……!


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2015年6月29日月曜日

愛を読むひと……プライドのために生きて死ぬ

2008年/アメリカ・ドイツ
スティーブン・ダルドリー監督

あらすじ:
若いツバメとイチャついて遊ぶの超楽しいけど、のっぴきならない事情が出来たので姿をくらまします。


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毎度適当なあらすじ紹介だけど、今回はいつにもまして酷い……。大丈夫かなこれ。大体合ってはいるんだけど、ほとんど合っていないとも言えます。私の言うことなど鵜呑みにしてはいけない。

紹介文を書くにあたって、思い出す作業のためにつらつらとこの作品を調べていたのですが、今気づいたよ。これ、「名前を言ってはいけないあの人」が出ていたんだね……。全く気付いておりませんでした。そのうち書くと思いますが、私のベストムービーオブザイヤー2014は「インターステラー」と「グランド・ブダペスト・ホテル」なんです。で、「グランド~」の方に、レイフ・ファインズが出ているんですけど、何度も見たのに、全く「観たことあるなこの人」って思わなかった……ショック……。どちらも良い映画だと思っているのになあ。それだけレイフ・ファインズが映画ごとにまるで別印象の俳優だという事なのでしょう、きっと!私は悪くない!

ケイト・ウィンスレットが絶妙に老けた。元から大人びた顔でしたけども、この映画だとタイタニックよりさらに惜しげもなく裸体を披露していまして、その身体が、なんというか、くたびれたね……。タイタニックのころは童顔のディカプリオに対してケイトの顔が老けすぎているなんて批判もあったようですが、顔なんかどうでもいいよ。肌の、ハリが……!!タイタニック公開当時まだまだ思春期まっただ中だった私もこれには少々ショックでした。ケイトが年を取るはずなんだもの、私も年を取るはずだ…。
しかしもともと大人びた顔だったために、同い年の男の子と子供みたいに燃え上がる恋をするよりは、少年をたぶらかして囲い込む大人の女の役回りの方が彼女は似合ってますね。これはほめ言葉なんだろうか…?くたびれた身体ながらも(しつこい)それだけにリアルに妖艶な空気が出ていました。

プライドのために生きて死ぬというのは、はたして正しい事なのでしょうか。褒められる事なのでしょうか。私にはよく分かりません。だけど、よく分かります。彼女の守ったもの、守れなかったもの、手を離したもの、手から滑り落ちたもの。少年が大人になって、彼女と少年が同じ目線で世界を共有するようになった時、色鮮やかだった景色はひどく寒々しくて、それに気づいた彼女はひどく絶望したでしょう。それをプライドと呼ぶにはあまりに無垢な感情で、老いすぎてしまった彼女は物語のラストを迎えたのかもしれません。
ケイトの老年期の演技は本当に素晴らしかった。この人は本当に幅が広いんですね。ケイト・ウィンスレット作品ってこの映画と、タイタニックと、ピーターパンしか観ていないなあ。どれも素晴らしかったと思います。この人ってハムレットに出ていましたよね。中世貴族が似合う顔立ちしているなあ。


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2015年6月28日日曜日

セッション……音だけに誠実であれ

2014年/アメリカ
デミアン・チャゼル監督

あらすじ:
私この映画観たことある、この人ハートマン軍曹って言うんでしょ。


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つい昨日観たばかりで上手く消化しきれていません。でも書きたい。アウトプットして楽になりたい。この話をいつまでも体内に飼いつづけるのは結構な苦痛です。別に鬱映画でもないんだけど、この苦しみはなんでしょうね?書いたら何か分かるかしらん。

私はジャズにかかわらず音楽関係の事にとても疎いです。私が持っているジャズ知識と言えば、まず思い浮かぶのは「スウィングガールズ」で、「セッション」の冒頭で流れるかっこいいジャズを聴いて「うわールパン三世みたいだ!超かっこいい!」と思った粗忽者です。そういった残念な人がこの感想を書いていると、ひとまずご留意ください。音楽に関して大したことは書けません。



この映画をうまく消化しきれないのって、何が引っかかってるのかなーってずっと考えているんですけど、もやーっとしたまま無理やり言葉にしてみると「主人公ってドラムが好きだったのかな」ってことに尽きると思うんです。好きと言う言葉一つでは表せないなら好きではない、というのは暴論なわけで、もちろん、彼はドラムの事は好きだと思います。だけど、それだけではない。

主人公のニーマン少年は、指導者のフレッチャーおじいちゃんに壁ドンされながら「お前には音楽をやる理由がある、そうだな?」と聞かれて「はい、僕には音楽をやる理由があります」と答えるわけですが、え、そこ、どんな理由があるか答えるんじゃないんだ?って思ったのがまず最初の違和感。
大学最高峰の指導者に見初められて調子のっちゃって片思いの女の子ナンパして、成功したはいいものの、ドラム練習に没頭したくてすぐさま彼女を振る時に「僕は偉大になりたい」と言う。これが二つ目の違和感。
他にも数か所ありましたが、ともあれ彼の夢は、あまりにぼんやりしすぎているんですね。彼は音楽が本当に好きだというよりも、誰にも認められず鬱屈としている彼が唯一他人を見返してやれそうなツールを見つけて、たまたまそれがドラムだったにすぎない、そういう感じがするんですね。それを、「好き」と思いこんでいる。フレッチャーに指導されている最中の彼は、目の下のクマも黒々としていて人でも数人殺してきたような顔つきでいます。全く楽しそうに見えないんです。道を究めるには常に血のにじむ努力、想像を絶する苦痛が伴うのでしょうが、それにしたって野球選手のイチローは人を殺したような顔してるか?サッカー選手の本田が偉くなりたいという漠然とした夢で日本代表になったか?
ニーマンは努力で己の技術を伸ばしたかもしれません。しかし彼の原動力は、根底にある思いは、どこまでも普通の男の子のそれに見えます。将来の夢が「偉大になりたい」である限り、彼は偉大なチャーリー・パーカーにはなれないのではないか。

「なれないのではないか」、で終わると、この映画の事を全く語ることが出来ていないと思います。彼にはフレッチャーがいる訳ですから。
ニーマンは確かにフレッチャーに身も心もボロボロにされてしまいますが、フレッチャーがいなければその技術は得られなかった。フレッチャーが彼の半端な気持ちを無視して、チャーリー・パーカーを生み出すために力技で彼を高みへねじ込む訳です。自分の意思がぶれたまま、趣味を職業にしようとする人は多くいると思います。イチローや本田のように、具体的な人生設計があってそれを遂行するため粛々と自分を鍛え上げられたというのは一握りではないでしょうか。
フレッチャーは、「このままではいいとこどまりの青年」を伝説になりうる青年に無理やり押し上げちゃった、という奇跡の物語……ということで、いいのかなあ。やっぱり自分の中で消化しきれていない。うーん。

もちろんフレッチャーの指導法は下種としか言いようがない。優しい顔をしてプライベートに立ち入って、同情するような顔をしながら、そのネタを使って演奏室で罵倒する。外道以外の何者でもない。もっとやり方はあるのかも。「Good job」と声をかけられても有名になったプレイヤーはいるはず。罵倒されなければ人は天才になれない、という持論は、彼の詭弁にすぎないと思うのですが、事実それでニーマンは天才になる足がかりを見つけた。結果論ですが。結果論だからこそ、なんか、うわー、うわー!って気持ちが消えないのかも。うわーって思ったって、フレッチャーがすごいのは事実なんだけど。指導する手腕と性格は関係ない。ニーマンのドラムの腕が良くても、彼の性格がどうしようもなく幼稚である事と同じように。

あー、言い足りてない!でもこれ以上書いても蛇足にすぎない!気がする!
いつかリベンジするかもしれません……すごく魅力的な映画でした。サントラ買ってしまった。


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