2015年7月25日土曜日

ゆれる……できる兄、できない弟/できない兄、できる弟

2006年/日本
西川美和監督


あらすじ:
兄が居合せた吊り橋転落事故が、単なる事故ではないかもしれません。


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オダギリジョーは良い俳優ですね。日本の俳優には何故だか「さん」とつけたくなるんだけども、今までの記事では大体の俳優を呼び捨てにしていたはずなのでこれもそれに倣って……。

邦画はあまり観ない方なのですが、この映画は邦画の良い所が凄く出ている素晴らしい映画だと思います。「私は今こう思っている」と口に出すことによって消えていく、それだけではない思いを表現するのって、ハリウッド映画ではなかなかお目にかからないと思うんですよね。
弟の抱える気持ちはもちろん、「兄を助けたい」だけれども、決してそれだけではない。被害者への決して優しくない思い、打算、薄汚い気持ち。「兄を助けたい」事は真実なんだけど、それによって覆い隠した何かがこちらをじっと見ているようで、居心地の悪い思いをするオダギリジョーに、他人事ではない後ろめたさを感じます。
誰しも大なり小なり、大義名分を掲げたその陰に、打算を抱えているのではないかと自問自答したこと、あると思うんです。
自分が兄を助けたいのは、犯罪者の家族を持ちたくないからか。
兄を告発する事は、被害者と通じていたことを知られたくないからか。
助けたい。身内から犯罪者を出したくない。
どちらも矛盾しない考えだと思うんです。同時にあってもいいと思うんですね。
だけど実際その状況に陥った時、どちらかの選択をする事に後ろめたさを感じない訳にはいかない。
人は多面的な生き物であり、簡単に善と悪に分かれたりはしていない。
邦画はこういう、グレーの部分、マーブルの部分を描ききる事が非常に上手な監督が多いという印象があります。

基本的にこのお話は弟ことオダギリジョーに焦点が合っているので、観客は彼の後ろめたさに共感し、その感情に引きずられると思うのですが、一方兄こと香川照之の事は、弟の目を通して見ているので何を考えているのかいまいち分からないことが多いんですね。
でもこれは弟の目を通しているからこそ、なんだろうと思うんです。
弟にとって兄は実直で、真面目で、いい加減に生きている自分とは正反対の兄を尊敬しながら、コンプレックスを感じてもいたのだと思います。いたずらに兄の好きな人を奪ってみたり、かと思えば兄の知らない、仄暗い面を見て動揺したり。
要するに、彼は彼のフィルターを通すことで、兄を冷静に見たことは一度もないのだと思います。
できる兄、できない弟とオダギリジョーは思っているけど、兄自身はできない兄、できる弟と思っている。このすれ違いにお互い気づけていない。

弟から見た兄、世間から見た兄を演じ続けた香川照之は、本当は怒ったり悲しんだり悔しんだりする、そんなみっともない部分もちゃんと持ち合わせた一人の人間であることを軽んじられてきたのかなあと思うんですね。彼にもいろんな感情があり、弟を妬ましく思っていたり、恥をかくのが嫌だったり、閉塞的な田舎の中で善い人間であろうと背伸びしたり……。
彼が不可解に笑みを浮かべるシーンが数か所あるのですが、そう考えてみると、変な話だけれどもその瞬間彼は、初めて彼を認めてもらった実感を得たのかもしれません。
その証言が彼を不利にするとしても、「人を恨む気持ちさえ当たり前に持ちあわせている人間です」と、面前で言ってもらえたことは彼の救いになったのかもしれません。弟にどんな思惑があったんだとしても。

その一方で、兄は本来の優しい兄でもあった。その事に矛盾はなかったんです。弟が、自分に火の粉が降りかかるのは面倒だと思ったのと同時に、兄を助けたかったという思いを持っていたことに矛盾はないように。
恥をかいて惨めな思いを抱え激情する人間であったと同時に、人に対して思いやりのある人間であることに矛盾はなかった。
言葉にならない何かを兄と弟はやりとりして、それぞれに何かを受け取って、最後に兄は笑みを浮かべる。
この繊細な人間の感情のゆらぎを、オダギリジョーと香川照之は完璧に演じきっていることに感動します。言葉にならないもの、顔に出ないもの。それを表現するって凄いよなあ。

この監督、制作協力ですが「そして父になる」にも関わっているそうで。未見なんですよね。あれもまた繊細な題材だったなあ。機会があったら見てみようと思います。
日本にはいい役者が沢山いるなあ!


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