2015年6月30日火曜日

特攻野郎Aチーム THE MOVIE……「最後にゃ物理でねじ伏せろ」「兄貴あったまいー!!」


2010年/アメリカ
ジョー・カーナハン監督

あらすじ:
天才的バカ力で勝利をもぎとります。


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恥ずかしながら、テレビシリーズをよく知らないんですよね。あのテンションの上がるテーマソングと、砂煙をあげながら荒野を走るバンのイメージしかありませんでした。
何で観に行ったかって、リーアム・ニーソンが出ていたからに尽きます。リーアム・ニーソンかっこいいですよね…。おじいちゃんなのにそんなかっこよくて良いの?許されるの?
今更気づいたけど監督総指揮リドスコだったんか。製作にはトニスコもいるし……この兄弟監督の事を思うとなんとなくしんみりしてしまいます。今から馬鹿映画をこき下ろそう(良い意味で)ってのに。

気を取り直して。


リーアム・ニーソンの超絶魔人な描かれぶりときたら。
獄中にいながらどこよりも最先端の情報を手に入れたりとかして、侮れないジジイぶりを発揮するもんで、「おおー、なんか頭良さそうー…!」っていう感想を持ちがちなんですけど、案外力技でねじ込んできます。
「脱獄作戦ー!必殺死んだふりー!」
「死んだふりしてたら火葬場に送られて焼かれるとこだった」
「超暴れたら脱出できたから焦げた程度ですんだよー!」
……ってね、頭いい人の作戦か?これ。頭おかしい。天才と奇人は紙一重と言いますが、奇人一択だよこんなもん。

だけどAチームの人間みんな頭おかしくてバカだから、なんかおかしいねとか言い出さないし、どんな無茶苦茶な作戦でも押し通して成功するから、なんなら割と本気で「ハンニバルあったまいー!」って思ってるんですよね。思っちゃだめだよ!フェイスマンなんか本当に憧れちゃって、「俺こんな作戦考えたんだけど…どう?」っつって相談持ちかけてハンニバルに褒められて、子供みたいに嬉しそうな顔しちゃう。間違えてるよ!策士になりたいなら仰ぐべき師匠を間違えてる!
B.A.が一旦目を覚ましそうになるけど、B.A.が影響されたガンジーの言葉で説得すればあっさりみんなのもとへ帰ってきちゃう。ちょれえ!「ガンジーの言葉を暗唱できるなんてハンニバルかっけー」っていう感じが凄い出てる!ちょれえ!!(二度目)

この映画のいいところってこういう、「小学生男子が考えた超かっこいいぐんたいちーむ」みたいなところですよね。どこまで真面目に考えても小学生男子だから、無限の発想の広がり具合と、恐ろしいほど幼稚な作戦と、でもそれが天才としてまかり通る世界観。それを大人が本気で映像化したらこんなにワクワクするんだね!っていう、とてもいい例だと思います。
テレビ版もこういうお話だったんでしょうか?非常にアメリカっぽくて良いですね。難しい事考えすぎて、眉間に皺よってる日に観るといいです。元気が出ます。


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2015年6月29日月曜日

愛を読むひと……プライドのために生きて死ぬ

2008年/アメリカ・ドイツ
スティーブン・ダルドリー監督

あらすじ:
若いツバメとイチャついて遊ぶの超楽しいけど、のっぴきならない事情が出来たので姿をくらまします。


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毎度適当なあらすじ紹介だけど、今回はいつにもまして酷い……。大丈夫かなこれ。大体合ってはいるんだけど、ほとんど合っていないとも言えます。私の言うことなど鵜呑みにしてはいけない。

紹介文を書くにあたって、思い出す作業のためにつらつらとこの作品を調べていたのですが、今気づいたよ。これ、「名前を言ってはいけないあの人」が出ていたんだね……。全く気付いておりませんでした。そのうち書くと思いますが、私のベストムービーオブザイヤー2014は「インターステラー」と「グランド・ブダペスト・ホテル」なんです。で、「グランド~」の方に、レイフ・ファインズが出ているんですけど、何度も見たのに、全く「観たことあるなこの人」って思わなかった……ショック……。どちらも良い映画だと思っているのになあ。それだけレイフ・ファインズが映画ごとにまるで別印象の俳優だという事なのでしょう、きっと!私は悪くない!

ケイト・ウィンスレットが絶妙に老けた。元から大人びた顔でしたけども、この映画だとタイタニックよりさらに惜しげもなく裸体を披露していまして、その身体が、なんというか、くたびれたね……。タイタニックのころは童顔のディカプリオに対してケイトの顔が老けすぎているなんて批判もあったようですが、顔なんかどうでもいいよ。肌の、ハリが……!!タイタニック公開当時まだまだ思春期まっただ中だった私もこれには少々ショックでした。ケイトが年を取るはずなんだもの、私も年を取るはずだ…。
しかしもともと大人びた顔だったために、同い年の男の子と子供みたいに燃え上がる恋をするよりは、少年をたぶらかして囲い込む大人の女の役回りの方が彼女は似合ってますね。これはほめ言葉なんだろうか…?くたびれた身体ながらも(しつこい)それだけにリアルに妖艶な空気が出ていました。

プライドのために生きて死ぬというのは、はたして正しい事なのでしょうか。褒められる事なのでしょうか。私にはよく分かりません。だけど、よく分かります。彼女の守ったもの、守れなかったもの、手を離したもの、手から滑り落ちたもの。少年が大人になって、彼女と少年が同じ目線で世界を共有するようになった時、色鮮やかだった景色はひどく寒々しくて、それに気づいた彼女はひどく絶望したでしょう。それをプライドと呼ぶにはあまりに無垢な感情で、老いすぎてしまった彼女は物語のラストを迎えたのかもしれません。
ケイトの老年期の演技は本当に素晴らしかった。この人は本当に幅が広いんですね。ケイト・ウィンスレット作品ってこの映画と、タイタニックと、ピーターパンしか観ていないなあ。どれも素晴らしかったと思います。この人ってハムレットに出ていましたよね。中世貴族が似合う顔立ちしているなあ。


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2015年6月28日日曜日

セッション……音だけに誠実であれ

2014年/アメリカ
デミアン・チャゼル監督

あらすじ:
私この映画観たことある、この人ハートマン軍曹って言うんでしょ。


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つい昨日観たばかりで上手く消化しきれていません。でも書きたい。アウトプットして楽になりたい。この話をいつまでも体内に飼いつづけるのは結構な苦痛です。別に鬱映画でもないんだけど、この苦しみはなんでしょうね?書いたら何か分かるかしらん。

私はジャズにかかわらず音楽関係の事にとても疎いです。私が持っているジャズ知識と言えば、まず思い浮かぶのは「スウィングガールズ」で、「セッション」の冒頭で流れるかっこいいジャズを聴いて「うわールパン三世みたいだ!超かっこいい!」と思った粗忽者です。そういった残念な人がこの感想を書いていると、ひとまずご留意ください。音楽に関して大したことは書けません。



この映画をうまく消化しきれないのって、何が引っかかってるのかなーってずっと考えているんですけど、もやーっとしたまま無理やり言葉にしてみると「主人公ってドラムが好きだったのかな」ってことに尽きると思うんです。好きと言う言葉一つでは表せないなら好きではない、というのは暴論なわけで、もちろん、彼はドラムの事は好きだと思います。だけど、それだけではない。

主人公のニーマン少年は、指導者のフレッチャーおじいちゃんに壁ドンされながら「お前には音楽をやる理由がある、そうだな?」と聞かれて「はい、僕には音楽をやる理由があります」と答えるわけですが、え、そこ、どんな理由があるか答えるんじゃないんだ?って思ったのがまず最初の違和感。
大学最高峰の指導者に見初められて調子のっちゃって片思いの女の子ナンパして、成功したはいいものの、ドラム練習に没頭したくてすぐさま彼女を振る時に「僕は偉大になりたい」と言う。これが二つ目の違和感。
他にも数か所ありましたが、ともあれ彼の夢は、あまりにぼんやりしすぎているんですね。彼は音楽が本当に好きだというよりも、誰にも認められず鬱屈としている彼が唯一他人を見返してやれそうなツールを見つけて、たまたまそれがドラムだったにすぎない、そういう感じがするんですね。それを、「好き」と思いこんでいる。フレッチャーに指導されている最中の彼は、目の下のクマも黒々としていて人でも数人殺してきたような顔つきでいます。全く楽しそうに見えないんです。道を究めるには常に血のにじむ努力、想像を絶する苦痛が伴うのでしょうが、それにしたって野球選手のイチローは人を殺したような顔してるか?サッカー選手の本田が偉くなりたいという漠然とした夢で日本代表になったか?
ニーマンは努力で己の技術を伸ばしたかもしれません。しかし彼の原動力は、根底にある思いは、どこまでも普通の男の子のそれに見えます。将来の夢が「偉大になりたい」である限り、彼は偉大なチャーリー・パーカーにはなれないのではないか。

「なれないのではないか」、で終わると、この映画の事を全く語ることが出来ていないと思います。彼にはフレッチャーがいる訳ですから。
ニーマンは確かにフレッチャーに身も心もボロボロにされてしまいますが、フレッチャーがいなければその技術は得られなかった。フレッチャーが彼の半端な気持ちを無視して、チャーリー・パーカーを生み出すために力技で彼を高みへねじ込む訳です。自分の意思がぶれたまま、趣味を職業にしようとする人は多くいると思います。イチローや本田のように、具体的な人生設計があってそれを遂行するため粛々と自分を鍛え上げられたというのは一握りではないでしょうか。
フレッチャーは、「このままではいいとこどまりの青年」を伝説になりうる青年に無理やり押し上げちゃった、という奇跡の物語……ということで、いいのかなあ。やっぱり自分の中で消化しきれていない。うーん。

もちろんフレッチャーの指導法は下種としか言いようがない。優しい顔をしてプライベートに立ち入って、同情するような顔をしながら、そのネタを使って演奏室で罵倒する。外道以外の何者でもない。もっとやり方はあるのかも。「Good job」と声をかけられても有名になったプレイヤーはいるはず。罵倒されなければ人は天才になれない、という持論は、彼の詭弁にすぎないと思うのですが、事実それでニーマンは天才になる足がかりを見つけた。結果論ですが。結果論だからこそ、なんか、うわー、うわー!って気持ちが消えないのかも。うわーって思ったって、フレッチャーがすごいのは事実なんだけど。指導する手腕と性格は関係ない。ニーマンのドラムの腕が良くても、彼の性格がどうしようもなく幼稚である事と同じように。

あー、言い足りてない!でもこれ以上書いても蛇足にすぎない!気がする!
いつかリベンジするかもしれません……すごく魅力的な映画でした。サントラ買ってしまった。


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2015年6月26日金曜日

私の中のあなた……奇跡が起きない事は悪い事じゃない

2009年/アメリカ
ニック・カサヴェテス監督

あらすじ:
何度も病気の姉のドナーにされるのが限界だから、親を相手取って訴訟を起こします。


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デザイナーベビーというものが、世の中にはあるんですね。この映画の公開時にはまだ実現していなかったようですが。
デザイナーベビーとは、受精卵を遺伝子操作することで知能や容姿を好きにカスタマイズされた子供の事だそうです。このお話は、白血病を患い、適合者も現れずにこのままでは死ぬのを待つしかなかった姉のために、適合した型を持つよう遺伝子をデザインされて生まれてきた女の子と、その家族のお話です。

冒頭で女の子は親を相手に訴訟を起こすんですね。幼いころから何度も骨髄液を抜かれ痛い思いをしてきたのに、今度は腎臓を半分差し出せと言われる。彼女の人権を親に認めてほしい、と裁判を起こすわけです。が、彼女の人権が認められるという事はすなわち、姉が死ぬという事です。

母親は姉が白血病を発症してからずっと正気ではなかったんだろうなと思います。デザイナーベビーは現代のアメリカでは認められているようですが、ただ自分好みの子供がほしかっただけ、という訳ではないこのケースを、モラルに反するだとかおぞましいだとか言って切り捨ててしまっていいものか。
娘(姉)を救うために、娘(妹)を犠牲にする事の残酷さについて母親は思考回路が停止してしまっています。もちろん、彼女が臓器を提供できたなら喜んで自分を犠牲にしたでしょう。それが出来ないから妹に託している。「嫌だよ」と断りづらい事を、断りづらいと分かっていながら、正しい事のためだからと、いろんなものに目をつぶって妹の体にメスを入れようとする。残酷なこととは分かっていても、思考を停止して姉を救う事しか頭にない。こんな人に向かって「私はドナーにならない」と言う勇気は一体どれほどの物でしょうか。妹だって、母を愛してるに決まってるのに。妹はそれを言わなければいけない。母親の想いを知りながら。

この話って原作とは結末が異なるそうですね。病気である事で親の目を独占してきた姉に、他の兄弟は嫉妬して非行に走るという原作のストーリーのほうがなんだか、しっくりきます。まだ子供だもの。映画だと、三兄弟なんですが、みんな仲いいんですよね。訴訟を起こしている間ですら、妹と姉は仲良しです。物わかりが良すぎるんですね。

ネタバレになるので細かい話は伏せますが、妹が訴訟を起こしたのは姉のためでした。妹自身は、臓器を取られることも嫌ではなかったと思います。姉が生きれるなら差し出したって良いと思っているんですね。途中で母と言い争う時に「スペア・パーツとしての生き方はもううんざりなんだ」と言ったことが、11歳の女の子としてはよっぽどハマるセリフだと思うだけに、彼女の下した決断が出来すぎてる…と思う一方で、出来すぎるほど優しい選択をしたこの子の愛の深さに涙が止まらなくなりました。

妹役の子も演技が凄かったけど、お姉ちゃん、体張ってるよね。年頃の女の子が眉毛も髪の毛も全部なくなるっていうの、相当なショックだと思うんです。女優魂半端ない。


奇跡なんて起きないから奇跡っていうのに、母親はそれに追いすがっていました。奇跡なんて起きなかったから、妹は遺伝子いじられてまで無理やり生まれてきたのにね。
物語が落ち着くところまで落ち着いて、正気を失っていた母親の目が覚めるころ、家族はお互いの傷を癒しあいながら寄り添って生きていきます。
奇跡なんてない。奇跡なんてないからこそ、姉が病気を発症して長年耐えたことに意味が与えられ、意味が与えられたことで救いが生まれ、家族の中に、私たちの中に、得難い何かが残るんだと思います。


なるべくネタバレしないで書くって難しいですね……頑張ります。


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ファイト・クラブ……きっと何者にもなれないおまえたちに告ぐ

1999年/アメリカ
デヴィッド・フィンチャー監督

あらすじ:
ストレス解消に殴り合うスポーツジムを始めたら、なんかテロリスト集団になってました。


※ネタバレあり。注意。


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ブラッド・ピットが好きです。好きでした。一時期ほどの熱が残っている訳ではないですが、今でも好きです。でもなんというか、ブラッド・ピットってあんまり良作に恵まれないような勝手なイメージ……。
ブラピが出ていると聞いて公開初日に映画館に走っては、いつも「ブラピが美しい映画だった」という感想だけを持ち帰る日々を繰り返していたことがあります。かっこいいんだけどね。それだけになんか、もったいない。ブラピ自身美しいと言われることに嫌気がさして、変に小汚い方向を目指した時期がありましたが、ひげ生やしたくらいでお前の美しさが損なわれると思ってるのか。ふざけないでください!という付け焼刃具合。もっとね!がんばってほしいの!できる子だと思うの!

今作はそんなブラピに辛口な私がマイ・ベスト・ブラッド・ピットと呼ぶ作品です。……でもねこれブラピが良かったというか、エドワード・ノートンが良かったんだよね。ブラピも良かったんだけど、それ以上にノートンが良かった。不遇。不遇なブラピ。

ノートン演じる主人公には名前がありません。便宜上ナレーターと呼ばれています。あるいは、「僕(I)」。
これは己の個性のなさを痛烈に嫌う彼の物語ゆえだと思います。
平凡なサラリーマンで、趣味や好みもなく、死んだように生きている自分の事を自分では嫌いだと言いきることもできない大変弱い人間です。本当は高級マンションに住んでいるし、そこそこのブランド物で身を固め、家具をそろえられるほどの財力があるのだから、そこに何かを見出してもいいはずなのに、彼はそれが出来なかった。
むしろ、そういうある程度のステータスを持っている事に優越感もないわけではない。そんなみみっちさにもまた嫌気がさす…という悪循環。
だから誰かのせいにして家ごと吹っ飛ばしちゃったのかな、と思いました。
自分の事が嫌いなのに、自分が嫌いだと認めることができない。好きになりたいのに、好きになれる手立てがない。タイラー・ダーデンは、ナレーターがつまらない人間であることを突き付けてくれた人でした。そしてそんな自分を好きになる方法も。それはものすごく振り切れた自己啓発法でしたが、ナレーターの心の隙間を確かに埋めてくれるものでした。ほんの一時ではありましたが。

何者にも成れないと思っている人間が、何者かに成れるかもしれないという希望にすがって、やはり何物にも成れないのではないかという絶望。タイラーの隣にいれば、自分も凄くなれる気がしたのに、当然ながらそうはならなかった。
タイラーの意思は彼の意志でもあるはずで、だから、テロに走った行為もまた、ナレーターの意思であったはずです。でも彼はそれを拒んだ。やっと、自分の好きと嫌いが分かってきたんですね。ここまできてやっと分かった。

目まぐるしい展開の割に、結局特に何が好転するわけでもなく話はラストに辿り着きます。でもナレーターはおそらくもう、不眠症に悩まされることはないでしょう。そもそも今後まともに生活できるのかも分かりませんが。

彼が欲していたものは「個性」というシンプルなものでした。
何でもできた、確かに何者かになっていたタイラーが彼の中にあったという事実は、変な話ですが彼の自信になったのではないかな、と思います。大騒ぎして、犯罪まで起こして、得たかったものがそれ?という話になるかもしれないけれど、何も持たない、何者にも成れないという恐怖心は、充分人を狂わせるものだと思うのです。


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RED……それゆけおじいちゃん大戦争


2010年/アメリカ
ロベルト・シュヴェンケ監督

あらすじ:
大人しくしてろって言うからぶっ殺してやりました!(サムズアップ)


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ブルース・ウィリスの真骨頂。ブルース・ウィリスにはヒット作が多いですが、その多くは「こういう映画だ」と予想がつきやすいというのがあるように思いますがどうでしょう?ブルース・ウィリスが出ていたら「ああ、ああいう感じだな」「ダイがハードな感じだな」ってなるでしょ?そしてその「ああいう感じ」を観に行くでしょ?そういう安定したキャラクターが彼の大いなる魅力ですよね。
しかしそれら大体の「ああいう感じ」が別作品であるにもかかわらず、その「ああいう感じ」も徐々に成長しているように思います。ダイ・ハード一作目の彼は半べそだったもんね。「畜生なんで俺がこんな目にぃ……!!」とか言って。それが今や年金受給者の役であるにもかかわらず衰えるどころかパワーアップしてて、「この程度でダイ・ハードなどと騒ぐんじゃない」という風格がうかがえます。
Windows95とWindows8がだいぶ趣の違うものであるように、彼の「ああいう感じ」も今はver.6.10くらいになっているんでしょうかね。何の話?分かりません。

ブルース・ウィリスばかりがこの物語の主人公ではありません。メインキャストは全員おじいちゃんとおばあちゃん!モーガン・フリーマンとジョン・マルコヴィッチ、ヘレン・ミレンとは……分かってるなあ……。このメンツ、毒蝮三太夫でも軽々しく「この死にぞこないが」とは言えませんね!ランチャーでぶっ飛ばされるよ!

このお話の良い所は、恐ろしくスタイリッシュだという事です。おじいちゃんとおばあちゃんを使ってスタイリッシュにしようとか、ありそうでなかったですよね?ありましたかね?私もまだまだ映画に疎いので、スタイリッシュおじいちゃん戦争映画がございましたら是非教えていただけるとありがたいです。観ます。
それにしてもこのRED、まじお年寄りリスペクト過ぎる。監督はおばあちゃん子だったんだろうか。いわゆる拳で語るようなアクションはさほどないんですね。終盤にちょこっとありますが。続編ではイ・脱ぎ要員・ビョンホンが体を張った華麗なアクションを披露しますが、おじいちゃんおばあちゃんがそれをしたらやっぱおかしいのね。むしろそんな手段を取らなくても充分痺れるアクションシーンになるという事をこの映画は証明してくれました。拳で語らない分余計スタイリッシュ。それでいてちゃんと重力を感じるアクション。マトリックス以降、スタイリッシュと言えば宙を舞うような、体重を感じないアクションが主流でしたが、最近またちゃんと拳の乗った、痛そうなアクションに戻ってきたように感じます。

終盤の拳で語るアクションシーンですが、私この敵役のカール・アーバンがなんか好きなんですね。最近なんかだと海外ドラマの「オールモスト・ヒューマン」で主役をしてしました。残念ながらエピソード1で終わってしまいましたが。

彼のアクションはかなり重たい。体重が乗っているように見えるから、一つ一つの拳がとても痛そうに見えるんですね。それがとてもいいなあって思います。それでいてシュッとしたスマートさがあるから、鈍重な感じにはならない。
おじいちゃんを殴るとか結構酷い役回りなんだけど、おじいちゃんだって負けてない。とても強いし。だから何か、師弟関係のようにも見えるアクションシーンでね、楽しそうと言うか、リスペクトを感じるんですね。とてもいいアクションシーンだと思います。
話の終わり具合からしてREDの一味に加わりそうだなあと思ったのに、続編には出ていませんでした。何でだよー!残念極まりない。そういう部分もあって、私は続編よりもやはり一作目をかなり愛しています……続編は、なんか、おじいちゃん要素が薄まるんだよね。おじいちゃんがめちゃくちゃ強いからこそ良い映画なのになあ。

ストーリーにまるで触れてませんが、アクションのストーリーなんてあって無いようなもの。ブルース・ウィリスのみならずジョン・マルコヴィッチとモーガン・フリーマンもまとめてダイがハードなんだけど余裕しゃくしゃくで敵を蹴散らすよ!……という説明で充分じゃないですかね?なんたって「ああいう感じ」の真骨頂なわけですから。


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2015年6月25日木曜日

天才スピヴェット……ちゃんと子供でいよう。ちゃんと大人でいよう。

2013年/アメリカ?(ちょっと資料見当たりませんでした)
ジャン=ピエール・ジュネ監督

あらすじ:
最愛の弟が死んで家族がバラバラになったから、ちょっと化学賞とって3000㎞の旅に出ます。


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知らなかったんです。ジュネ監督が新作を出していたなんて!ショックでした……すごくショックでした。劇場で観たかった。ジュネ監督が初めて3D作品に手を出したそうで、ああここの部分が3Dだったのか……と所々で思ったんですが、従来の3D作品とは使い方が違うんですね。空想と現実の分け方に3Dを使っている。なかなか面白い手法だと思うんです。それだけに、本当、3Dで観たかったなああ……と思っていたら、私の住んでいる地域では放映していなかったみたい。なんでだ!ジュネだぞ!解せぬ!

さておき、今回もおもちゃ箱をひっくり返してちりばめた……と思いきやこれ1㎜単位できっちり配置決めた置き方してる!?というほっこりした後その計算高さに背筋が冷える、そんなジュネ監督の真骨頂に触れることができます。

T.S.スピヴェットはなんだってできるのに、亡くなった弟の方が何でもできたという呪縛にとらわれた少年です。彼は弟を愛していたし、家族も自分より弟を愛していたと思っているんですね。
実際のところ弟にあった才能は父親譲りのカウボーイ精神とセンスで、T.Sが持っているような天才的な頭脳や武道の心得なんかは持ち合わせていませんでした。弟が生きていれば、生きていた時もきっと、兄を尊敬していたと思います。自分にないものはいつだって輝かしいから。

弟が亡くなった後、家族はどうにもよそよそしくなってしまいました。自分では埋められないその穴にどうしようもなく孤独を感じるT.S少年は、己の居場所を探して大冒険をします。9歳の少年が、西部モンタナから東部ワシントンまで、資金もままならないのに天才的な頭脳とアイディアでもってアメリカを大横断します。
このシーンがまた、とても良いんですね。貨物列車に潜んで、風を浴びて青々とした緑の中を進んでいく。そのシーンはスタンド・バイ・ミーのようなちょっとした冒険を楽しむただの少年のようでほのぼのとします。とても永久機関(400年間しか持続しないとはいえ)を開発した功績をたたえられて化学賞を受賞した人間とは思えない。この子の凄い所は、天才のような精悍な顔つきと、子供らしいあどけなさが共存しているところです。変に大人びていない。ちゃんと、子供として、背伸びしているように見える。達観はしていないんですね。子供が子供であることを分かっていて、どうしようもない時は大人の力を借りて、そして子供なりに考えた結論で苦しんで、お母さんの腕の中で泣く。ちょっと賢いだけの、愛されたがっているこの少年に、自分の幼少時代などを思って涙ぐんだりしました。私は別段賢くはないんだけども。むしろ残念よりだったけれども。

道中彼を助けてくれる大人はたくさんいて(助けてくれない大人もいるんだけども)、その触れ合いがまたほっこりします。ドワーフかな?みたいなおじさんのお話をうんうんと聞いて、余計なこと言って水を差したりもするんだけど、後々おじさんから聞いた話は彼の中に残りつづけて糧になっていくし、売店のおばちゃんは家出少年と知りながら優しく諭しつつも見逃してくれたり、大人には、こういう余裕が必要なんだなって思いました。子供だって、自分がしていることの大変さは分かっていて、分かったうえで行動しているという事を、大人なら一歩進んで理解することも大事だな、と。
もちろん家出した少年を見かけて後押しするのが正解かと言われれば、ちょっと違うかもしれません。けども、リスクを取ってまで何かをしている子供の事を、子供なりに考えていることを汲むために人は大人になるんではないかなって思うんです。報われなかった子供時代の自分を救うために。そんな気がしました。

それにしてもT.Sを演じたこのカイル・キャレットという少年、映画の中だけでなく実際にもなかなかの天才のようですね。6ヶ国語を話し、武道選手権にて3年連続世界チャンピオンだとか。劇中でやったら奇麗にヌンチャクをさばくと思ったらそういうことか……。ロシア語っぽい言葉も話してたっけ、そういえば。あれ彼の素養があってこそのシナリオだったんだな。怖いわ。
天才子役と言えば私の中では今も昔もマコーレー・カルキンなんですが、彼の大人になってからを追うとなんか、こう……ね?分かりますでしょ?すごく物悲しくなるんですね。子役ってどうしても、この子もやがて、ああ……という目で見てしまう。
けれど、彼の場合は彼個人がしっかりしている気がします。周囲の大人が変な動きをしなければ、そのまま健やかに育つんじゃないかな……育ってほしいな……と、さっそく親目線になる始末なのでした。


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イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密……まがいものの定義

 2014年/イギリス・アメリカ
モルテン・ティルドゥム監督

あらすじ:
解読不可能と言われた暗号を解いて、戦争に貢献した天才だけど、それはそれとしてゲイなので逮捕します。


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べネ様です。泣く子も黙るべネ様です。
ベネディクト・カンバーバッチ様です。
少なくとも私は黙ります。

出演する俳優が好きだったり、監督が好きだったりするだけでとりあえずチェックせずにいられないミーハーな人間なもので、SHERLOCK大好き人間といたしましては一も二も無く観に行きました。
恥ずかしながらアラン・チューリングと言う人を知らなかったのですが、最近になるまでその業績の性質と彼の性癖上、表舞台に彼の名前が出ることはほぼなかったようですね。不遇……戦争は不遇な人を産む……。





ベネさんはこういう役をやると光りますね。一般には認めてもらえない自閉症やアスペルガーの天才。スタートレックの彼はあまり光ったなー、今光ってんなーという印象が薄かったのですが、彼の繊細な表現力は、ダイナミックな映像よりも人の心理を描くために眼の動きを追っている時の方が冴えわたる気がします。

戦争の話になるとこれは人の数だけ主張がありますでしょうから、そこに至ってはあえて特筆しません。戦争映画ではあるけども、そこが主題の映画ではないと思うし……。彼が生きた時代にたまたま戦争が起こっていて、たまたま彼の能力が戦争の道具に利用できたというだけなんだなと思います。


この映画を通してみていると、「ゲイである」という事に対してこんなにも理解がないという事に驚きを覚えるんですね。いや理解はなくてもいいけど、犯罪になってしまうあたり、飛躍しすぎだろうと思うのは、私が今という時代を生きているからなんでしょうが。
アラン・チューリングがゲイであるために犯罪者とされた事を、政府が謝罪したのは2012年の事だそうです。ついこないだだよ!30過ぎたら3年前の事なんてホントちょっと前の事にすぎないよ。戦争から70年。そしてそれは「謝罪」ではなく「恩赦」なのです。恩赦……。
そりゃ謝る訳にはいかないんだろうけど。

それほどまでに同性愛の問題って根深いんだなという事に、改めて驚かされます。驚かされてる時点で、自分の無知さを恥じもします。
私だって同性愛の事を真に知っているかと言われれば、それはもう第三者にすぎませんので、偉そうには言えないな…とは、思うんだけど。思うんだけど、知らないこと、自分の中にない事を攻撃する性質にはやはり、疑問を覚えるんですね。
色々あって、いいじゃない。
そうは言えど、綺麗事で世界は回らない。人の数だけ考え方があるという事を否定できないのが世界を複雑にしているんだなあ。よおし、こうなったら人類を補完するしかないぞう。

あんまり映画の感想言ってないな。個人的にはエニグマの造詣が物凄くワクワクするんだけど、解読できたきっかけとかが、「いや天才なら気づいとけよ」って事だったりして、ちょっとショーンてなりました。一般的に分かりやすいエピソードになるようにちょっと目線を下げたってことは充分あるんだろうけども。それにしたって、それにしたって。それは暗号解読の基本ではないのかと。まあ映画的演出にケチをつけるのは野暮だからな……。でももう少し「なるほど全然わからん!わからんからこりゃ天才だー!」と思いたかったなという、頭の悪い感想。

個人的にキーラ・ナイトレイが好きなので、彼女が出てきてはつらつとしていると嬉しくなります。今回もそれだけでちょっと嬉しかった。
キーラ演じるジョーンは、多分彼が本当の意味で自分を愛していないことは分かっていたんでしょう。彼の告白に驚くこともなく受け入れますしね。彼女はそんなことより、彼が彼女を大事に思ってくれたことが嬉しかったんだろうな、それに、報いようとしたんだろうな……と思います。
彼女は恋愛がどうのこうのというのに一喜一憂するタイプではなく、チューリングと同じように、仕事が純粋に好きだったんじゃないかな、と。
もちろん、恋愛感情はあっただろうけど。
そして多分、アランも彼女の事が好きだっただろうけど。
好きって、不思議な感情ですね。恋人と友達の線引きは何が基準なんでしょうね。

ベネさんは同じアスペルガーの天才でもシャーロックとはまるで違うアプローチで演技してます。周りに理解されず、虐げられ、でも何が悪いのか分からず、人の顔色を窺って瞳がぶれる。
シャーロックの彼の演技は、コナン・ドイルの作品の中の彼を演じるという点ではとてもリアルでしたが、あれはあくまでフィクションだなと思うんですね。今作では、がんばってもうまくいかずに萎縮している人という現実的な人間像がとてもリアルでした。
そういう繊細さの表現、素晴らしいな、ベネさん、素敵だな、と思います。抱いてくれ!


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ウルフ・オブ・ウォール・ストリート……酒とクスリと詐欺師とゴロツキ


2013年/アメリカ
マーティン・スコセッシ監督

あらすじ:
コカインでガンギマりしながらウォール・ストリートで一発当てました。


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恥ずかしながら、この映画を観るまで、マーティン・スコセッシ作品をほぼ見たことがありませんでした。「タクシー・ドライバー」くらいかな?
なにせ巨匠でいらっしゃるし、ただでさえ脳内で参考にできる作品が「タクシー・ドライバー」だけだったもので、さぞかしシリアスで骨太なヒューマンドラマが始まるのだろう。すこし古臭かったりもするかもな……と思ってたら、なんだこれ酷い(褒め言葉)。

もうおじいちゃんなのに新しい事を開拓していく意気込みがすごく感じられるんですね。斬新な手法を使いながら、ちゃんと今まで培った老練な業も魅せてくれるような、痺れるシーンがそこかしこにちりばめられていました。映像だけで観る価値がすごいある。

主人公のジョーダン・ベルフォートさんは実在の人物だそうで。もうむっちゃくちゃやるんですね。コカイン吸いながら商談まとめるし、社内の女性社員と勤務中からセックスしまくるし、毎日毎日お祭り騒ぎで金ばらまいて、でも成功してる。本当にこんな会社があったんかいな。あったとしたら、バブルでみんな狂っていた時代だったのでしょう。
やる事が破天荒な割に、ジョーダンは小者です。小者だからこそむっちゃくちゃやるとも言える。
会社にとって大事な局面や、FBIに追い詰められている時、プレッシャーを与えられると彼はすぐコカインに逃げる。ウォール・ストリートで一旗揚げる前の彼は、大変勤勉で真面目なサラリーマンでした。彼が大きい事を成し遂げたいと願った時、借りれる力は全部借りたかったのかな、と思います。
やってることがクズなんだけど、彼の繊細さが垣間見えたりする所がなかなか彼を嫌いになれない所なんでしょうね。
自分に忠実だったこともあるし、仲間を大事にしたいからこそのクズを演じていたこともあるのだろうし。とにかく必死で、クズをやっていた。半分本音で、半分義理で。そうすることでいろんなものを守るしかなかったんだなあ。いろんなものを引き換えに失ったとしても。
彼のプライベートや純粋な部分を犠牲にして、馬鹿やってみんなと一緒になって大笑いしてただけに後半の仲間の裏切りには同情してしまう。クズなのに。しおしおになっちゃう彼に素直に「かわいそう!」と思えてしまう。その絶妙な表現がこの映画の魅力だと思います。


ディカプリオはいいおっさんになってきましたね!思春期に「タイタニック」でレオ様と囃し立てられる彼を観て、「王子かな?」と思った時期もありましたが、もう今や「おっさんだな?」としか思いません。でもいい歳の取り方をしたよね彼は。ブラッド・ピットは美男子にしかなれないおっさんだけど、ディカプリオは何にでもなれるおっさんだと思う。もちろんブラッド・ピットも好きですよ。

ただ、なんとなくディカプリオって共演者に食われるイメージすごく強い……とてもいい役者ではあるんです。私はとても好きです。だけど今回の映画では10分そこらしか出ていないマシュー・マコノヒーに全部持っていかれてる感じがしました。
ジョーダンの事をクズだクズだって言ったけども、マシュー・マコノヒー演じる元上司は身の危険を感じるレベルの怪人物。何をしたわけでもないんです。一緒にランチを食べに行っただけなんだけど、「やべえこいつ今笑ってるけど次の瞬間フォークで目を突いてくる」って思わせるような危ういキャラを見事に演じています。目とか本当にヤバい。キマッてる。すごく高級な高層ホテルのレストランで平然とコカインを勧めてくる。
この時のジョーダンはまだ薬物には染まってないし、誘いも断るんですが、後々のジョーダンの中にはこの上司が棲んでいたんでしょうね。5秒後には何をするか分からないような男で、相当の切れ者で、ウォールストリートのエリート。彼の理想象と、殺伐としたウォールストリートを突っ走っていった先のジョーダンの中には、常にこの上司がお手本にあったように思います。
きっとこの元上司もまた、弱い人間だったんだろうにね。

この映画、映像だけでなく人物の描き方やシーンの切り取り方、リズムの良さ、出演者の魅力の大きさがいちいち良かったので、この映画をとっかかりにして、スコセッシ監督のほかの映画も見てみよう!と思えたし、マシュー・マコノヒーってすげえなあー!と思って彼の作品を追ってみる気にもなりました。すごく得るものの大きい映画でした。スコセッシ監督の別作品や、マシュー・マコノヒー出演作についてはまた、別の機会に。


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2015年6月24日水曜日

エグゼクティブ・デシジョン……限りなく透明に近いセガール

1996年/アメリカ
スチュアート・ベアード監督

あらすじ:
嘘だと言ってよセガール!!


※ネタバレしないと言いながら、だいたいお察しできてしまうと思います。注意。


**********************


結構前の事ですが、海外ドラマに「LOST」ってありましたよね。面白くて結構見てました。途中で挫折してしまいましたが……。

「LOST」は冒頭で主人公たちの乗った飛行機が事故により墜落、謎の島にたどり着いてサバイバル生活を始める……というストーリーなわけですが、なぜこの「エグゼクティブ・デシジョン」で関係ないドラマの説明をしているかというと、この墜落した飛行機の航空会社「オーシャニック航空」が、今作でも出ているからです。
深い理由はこれと言ってなく、架空の航空会社として使いやすいネーミングってことなのかもしれませんが。
まあそんな些細な理由で興味を持って、この映画を見たわけです。

でね、この映画、スティーブンセガールが国内版パッケージだとダブル主演みたいな扱いを受けているんですね。(図参照)
当然そのつもりで、「沈黙のエグゼクティブ・デシジョン」みたいなつもりで観ていると、とんでもない裏切りにある映画なんです。
ネタバレになるので、観た時の私のリアルタイムの感想をダイジェストで表すと……


セガール!
セ・ガー・ル!セ・ガー・ル!

……セガール?
セガール……?

セガッ!?

セっ

セガーールーーーーーーー!!!!!!!
セガール!?セガール!?セガー……!セガール……!!


セガール……?

セガール……


……という感じです。伝わるのかなこれ。いや無理にでも伝わりましょう!がんばってください!(ゴリ押し)
ふんわりとした印象が伝わればそれでだいたいこの映画はいいと思っています。とにかく、その他の作品の傾向から、セガールがいつも通りに無双するだろうという客の考えを逆手に取ってミスリードを誘う狙いがあったんでしょうね。まんまとハマりました。

しかし日本の配給会社にはいささか悪意を感じます。国内版のパッケージは先ほどご覧になった通りですが、日本以外の海外版パッケージはこんな感じなんです。(右図参照)

……ね?ひどいでしょ?このパッケージを観ていたなら、セガールの事ゲスト出演かな?くらいには思えたかもしれません。国内版をよく見たらセガールの顔が半分バッサリ切り取られてるの。右側の鉄筋みたいな構造物の背景にはセガールの顔がないんですね。そんな……やっつけみたいにセガール切り貼りしてまで……。

最後までセガールの影を追ってしまい、正直ほぼストーリーがすっ飛んでいる部分は否めません。
逆に言えば脇役のセガールって凄く珍しいと思うんですね。そういう意味で、使い捨てされるセガールという貴重な映画としておすすめです。







この作品にはハル・ベリーが出ています。ハル・ベリーってとってもチャーミングですよね。美人と言うよりは(もちろん美人なんだけど)、チャーミングというイメージ。
CAとしてハイジャックされた飛行機に乗り合わせているのですが(今まともに作品内容に触れた気がする)、彼女が分からないなりに救出作戦に協力してくれることで話が動き出すという、かなり重要なキーパーソンになっています。まあそんなことはどうでもいい。がんばるハル・ベリーかわいい。

先ほど触れましたオーシャニック航空ですが、この映画に使われた飛行機が飛んでいる映像は様々なドラマなどに素材として使われているそうです。そうやって映像を使いまわすことで予算を節約させているんだとか?
おかげで海外ドラマには架空の航空会社「オーシャニック航空」がよく登場していたらしいです。今はさすがに使われていないのかな?
なかなか興味深いですね。


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