レティシア・コロンバニ監督
あらすじ:
「アメリ」をシャレにならない感じで描いてみたらこうなりました。
※若干ネタバレしています。
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オドレイ・トトゥって「ダヴィンチ・コード」の頃「女優をやめたいと思ってたけど今作は楽しかったからまだ続けようかな」という旨の話をインタビューでしてたな、やっぱそれまで「アメリ」の役に引きずられていたのかな、って思ってたんだけど、今調べてみたら別に全然そんな事は言ってなくて、割とコンスタントに「女優辞めてえ」って言ってるみたいですね。あらあら。まあまあ。
今作はいわゆる「信頼できない語り手」というやつです。この手法、最近では「ゴーン・ガール」で見かけました。ゴーン・ガールもこちらも、割と序盤で答え合わせが始まりますが、ゴーン・ガールは夫が困惑している様子を観客は間近に見ているため、一方的に妻の肩を持とうとは思えない構成になっています。一方今作は「何かおかしい」とは思いますが、概ね円満な人間関係に見えるので、観客は嫌な緊張感は保ちながらもキュートで一途なオドレイの肩を持ちがちになるわけです…が、やっぱ嫌な緊張感はあるから、後半の答え合わせで「うお…っ」ってなりつつも、「あーアメリの人だもんなー」てなんか、安心するんですよね。オドレイはそうでなくっちゃね、というか。アメリなんか目じゃないほどサイコ野郎ですけども。
結局彼女は恋をしていたのでしょうか?彼でなければならなかった理由は何なんでしょうか。
この手の映画では考えるだけ無駄なテーマではありますが、「本当に彼でなければならなかったのか、彼でならなければいけなかったきっかけは本当に恋に堕ちるに値するのか」って、別段妄想癖の強い彼女だけの問題ではないと思うんですよね。
彼女を慕うボーイフレンドもいながら、妻子持ちの大人の男性に入れあげてしまうそれは、満たされなかった父性愛を彼に求めているようにも見えますし、愛とは何かを知らないという風にも見えます。愛って何って言われると、誰だってむずかしいと思うけどね!
誰かを妄執的に愛することを正当化するわけではありませんし、このオドレイはマジで怖いんだけど、彼女のこれを「恋じゃねえ…」って思った時、じゃあ本当の恋ってなんだろね?ってちょっと、考えさせられる作品でもあります。
誰かにとってそれが恋なら、誰が何と言おうと、恋なんだろうけど。もやっとするね。
このお話って、後半が全部ネタばれにつながるのでうまく言えないのが歯がゆいのですが、ひとつだけ。
ラストは総毛立ちます。これからの暗澹たる展開の可能性が見えるラストなんですね。
問題なのは彼女が部屋に残したアートなんですけど、そのアートを清掃業者がふんっ、と鼻で笑って取り壊していくわけです。
いやいやいやあんたよく笑えるな、と。おいおいおい、と。
オドレイもよっぽどだけども、この清掃業者の判断力にも背筋凍るものがありました。この人は一体、どれほどの「治ってない人たち」を見送ったんだろう。分かっていながら野に放ってきたんだろう。
自分に被害が及ばない所で人って言うのはどれほど残酷になれるかっていうのもラストの怖さの一つだと思います。オドレイ自身については、まあ、ねえ。そりゃそうなんじゃない?って感じがしました。「あたし更生しました」とか言われたってとても信じれたもんじゃねえや。
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